1998年5月の悲劇を回顧。共に祈り、花を撒く「改革の歩み」参加者たち。
2024年05月20日付 Kompas 紙
去る5月12日日曜、東ジャカルタ、チパユンにあるポンドック・ランゴン公共墓地で行われた、98年5月の悲劇を振り返る「改革の歩み」
ジャカルタ、KOMPAS.com配信-
去る5月12日日曜、東ジャカルタ、チパヤンのポンドック・ランゴン公共墓地で、女性に対する暴力に反対する全国委員会実施の「改革の歩み」活動の参加者たちは、1998年5月の悲劇の歩みを謹んで辿った。
Kompas.comは同活動に参加する機会を得た。現地取材では、「改革の歩み」一行を乗せたバスが墓地に到着した際、全員が真剣な面持ちだった。
参加者たちは冷静な様子で話し、すでにテントと椅子が用意された芝生のエリアへ急ぎ足で向かった。
ちょうどテントの前には、針のモニュメントがあった。そのモニュメントは1998年5月の悲劇の犠牲者を追悼するため、2015年に設置された。
モニュメントは、113の名もなき基がある区域の左手にある。
この追悼行事の中、今日まで未だ身元不明の犠牲者たちを追悼するため、参加者たちはポンドック・ランゴン公共墓地に案内された。
同行事は司会者であるユリタ氏の挨拶と共に始まった。
同氏は参加者に当日の活動を振り返り、1998年5月の悲劇に関する話を多くの人びとと共有するよう呼びかけた。
数人の参加者は、自身の印象や経験を語るためモニュメントの近くに移動した。
その中の一人、アチェ出身の中年女性であるフィルダ氏は「ルマ・グドンの悲劇が如何に恐ろしいものであったかを語った。
続いてベルヤント・シトハン氏が、女性に対する暴力に反対する全国委員会の責任者として、ソラヤ・ラムリ氏が同委員会選挙部門のコーディネーターとして演説を行った。
両氏とも、1998年5月の悲劇の生存者コミュニティである女性に対する暴力に反対する全国委員会や、針のモニュメント設立の提唱者たちの奮闘について語った。
参加者たちは終始、真剣に耳を傾けて話を聞いていた。
1998年5月の悲劇を記憶に残し続けることが如何に重要であるか語られた際には、しきりに頷く参加者もいた。
また、ソラヤ氏が針のモニュメント設立のための闘いについて語った際には、「そうだ」や「その通りだ」と発言する参加者もいた。
共に祈り、花を撒く
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約30分が経過した。 同活動の参加者は、針のモニュメントの前に立つよう促された。
そして、ユリタ氏は「改革の歩み」活動の参加者たちに、犠牲者に対し黙祷を捧げるよう呼びかけた。
全参加者がすぐに目を閉じ、頭を下げた。 「ググールブンガ Gugur Bunga」(花落ちるの意味。戦死者への追悼歌)が歌われる間、言葉を発する者は誰一人としていなかった。
歌が終わると、全員が再び目を開けた。 両手で顔をなでおろし、アーメンと唱える者、ゆっくりと「アーメン」と唱える者もいた。
続いて、我々は花を撒くために、113の名もなき墓がある区域の方へ案内された。
各参加者は誰もが一つづつ花束を手にしていた。どの墓でも自由に花を撒くことができた。
「皆さん、私達は写真に記録するために墓の横に座るのです」と主催者の1人が言った。
全参加者は一つの墓も取り残さないよう、互いに注意しあった。
参加者の一人が「あの奥のお墓はまだ空いています。あのお墓についてください」と、座る場所を探している参加者に呼びかけた。
目的は写真に記録を収めるためだが、参加者たちが微笑んだり、ポーズをとるといった演出はない。
花を撒きながら座っている参加者もいた。それどころか、子供たちに彼らの右手にある墓に祈るように呼びかける母親もいた。
この写真撮影は間もなく終わった。約2分後、参加者たちは軽食をとってバスに戻るよう呼びかけられた。
しかし、多くの参加者は依然と名もなき墓地のもとにとどまり、祈りをささげると同時に残りの花びらを撒いた。
以前、女性に対する暴力に反対する全国委員会はジャカルタの数か所で「98年5月の悲劇を振り返る改革の歩み:過去の人権侵害が岐路に!」という名の改革の歩み活動を開催した。
この活動は去る5月12日、西部インドネシア時間の8時から17時まで続いた。
活動は集合的記憶を維持し、1998年5月の悲劇の犠牲者の尊厳回復を促進するための試みとして行われた。
この活動は、将来同様の出来事が起きないようにするためのものである。
*スハルト時代にアチェのピディー県で国軍の特殊部隊が地元の伝統的家屋を不法に占拠し,地元住民の拘束、拷問に使用した
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( 翻訳者:加茂慶一 )
( 記事ID:6881 )