アウンサン将軍の手書きノート持ち出しの民族代表院議長に抗議の署名活動中(9-29-10-1)

2013年07月28日付 The Voice 紙
ヤンゴン 7月25日

 イェーナンジャウン第1高校で保管されていたアウンサン将軍のパーリ語ノートを、民族代表院議長のウー・キンアウンミンが持ち去ったことに対し、抗議するため署名集めをしているとイェーナンジャウン郡オーボー地区のNLD党員ウー・ソーニュンが本誌に語った。
 そのため、7月25日に署名用紙1万枚余りをイェーナンジャウン郡の全ての地区と村落区に配布したと同氏は続けた。
 上記の署名を民族代表院議長に提出し、アウンサン将軍の手書きのノートの返却を要求する、同議長がイェーナンジャウン第1高校に再びそれを引き渡さなければ、行動による意思表示も辞さないと氏は述べた。
 イェーナンジャウン郡の地元で活動している政党、88年世代の元学生、慈善事業団体が一緒になってこの活動を行っていくことがそれら団体からの聞き取りでわかった。
 国民のリーダーであるアウンサン将軍がイェーナンジャウンの民族学校に通っていたときに書いたパーリ語のノートを、連邦議会議長で民族代表院議長のウー・キンアウンミンが7月19日に持ち去ったものである。
「一番言いたいことは将軍の手書きのノートを元あったところに、戻してほしいということだ。」と当地で雑貨屋を営む40歳の男性は言った。
 将軍の手書きのノートを取り戻せるよう議会に要求していること、複製を置いておくということも絶対に受け入れないことを第1高校PTA副会長ウー・チョーサンウーが説明した。
 イェーナンジャウンから将軍の手書きのノートを民族代表院議長が持ち去ったというニュースは耳にしているが、何のために持ち去ったのかはわからないと民族代表院法案委員会委員ドクター・ミャッニャナゾーは述べた。
 イェーナンジャウン第1高校を卒業したシュエパーラミートーヤの僧侶、サンダーディカ師は、将軍の手書きのノートを持ち去ったことは受け入れられない、元あったところに戻すべきだと7月21日に要求している。
 上記の手書きのノートはイェーナンジャウンの作家イェナンミェー・ウー・バペーが歴史的資料として1962年にイェーナンジャウン第1高校校長のウー・チーセインに寄贈したもので、同校で50年余りにわたって保管されてきた。


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翻訳者:田崎巧
記事ID:246