オランダが1940年代に起きた大量虐殺に対して公式に謝罪

2013年09月12日付 Kompas 紙
虐殺被害者の遺族と写真撮影をする在ジャカルタ・オランダ大使
虐殺被害者の遺族と写真撮影をする在ジャカルタ・オランダ大使
オランダ政府は、1940年代にオランダ軍によりおこなわれた一連の「虐殺」に関連して、インドネシアへ正式に謝罪し、過去の悪いイメージを払拭するために非常に努力している。

事前の裁判なしで処刑された多くの人々の子供たちが正義を求める場において、在インドネシア・オランダ大使であるチェールド・ド・ズワーン(Tjeerd de Zwaan)氏は、ジャカルタのオランダ大使館における公式な式典で謝罪を伝えた。

「オランダ政府として、当該事件に対して謝罪申し上げます」とチェールド・ド・ズワーン大使は述べた。

「オランダ政府は、この謝罪が、1945年から1949年の間に発生した虐待により直接影響を受けた人びとにとっての苦境の幕を閉じるであろうことを期待している」とド・ズワーン大使は付け加えた。

オランダ政府は、以前、虐殺事件の多くの犠牲者の親族へ謝罪をしたことがあるが、インドネシアでおこった全ての事件に全面的に謝罪したことはない。

先月、オランダ政府は虐殺の被害者の寡婦たちへ26,600米ドル(約2億7千万ルピア)の見舞い金を支給すると公表した。

この式典では、スラウェシで発生したオランダの残虐な軍事作戦で死亡した男性被害者たちの寡婦たちへ特に配慮が払われた。

チェールド・ド・ズワーン大使は、現在90歳から100歳になる被害者の寡婦たちに会うために、来週マッカサルへ飛行機で移動する予定である。

インドネシアでオランダによりおこなわれた蛮行のひとつは、植民地支配に対する抵抗に対抗するオランダの行為で、3か月間にわたり多くの村で起こった大量処刑に関連するものである。

インドネシアの多くの情報源は、被害者は4万人に達すると主張しているが、歴史研究の報告では、被害者は「ほんの」数千人であるとしている。

2011年にオランダ政府は、西ジャワ州のラワグデにおける虐殺被害者たちへも謝罪し補償をおこなっている。


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翻訳者:合地幸子
記事ID:381