《社説》選挙をサッカーの試合にみたてるなら(10-40-19-1)

2014年10月21日付 The Voice 紙
 相手も勝ち自分も勝つ、相手も得し自分も得をするというようなサッカーの試合をすることは出来ない。サッカーの試合にWin-Winはない。
 勝利を目指すというのは、自分自身あるいは自分の組織のためだけに、最善を尽くすことである。そこでは、Win-Winなどといった方針を定め、実行するということはあり得ない。サッカーの試合においては、自身のチームの勝利ということだけが最も重要なのである。
 Win-Win というのは、相手も勝ち、自分も勝つことである。自身が勝ちたければ、対戦相手を勝たせないようボールを蹴るのが、サッカーの当然の定めである。結果に結びつく決め手はゴールすることのみにある。
 サッカーの試合に参加している全ての人間は、まずガッツがなければいけない。勝利への闘志があってこそプレイできるのであり、それは全員に関わる。全員が良い状態である必要があり、誰か一人のスタンドプレーでは実際に事を成せないことを理解し、精神的気概と蓄えた体力とで、闘う努力をしなければならない。サッカーをすることにおいて、試合運びのみならず、一人一人互いに誠実で切磋琢磨し、節度ある態度でルールに従ってこそ、非常に尊厳のある競技になり得るのである。
 サッカーの試合では、チームワークの精神で、団結してプレイしなくてはならない。力を合わせ、練習を十分に積み、正確な判断が、よき結果を導き出す鍵となる。全ての選手には、チャンスがある。チャンスを最大限利用できる能力があることも必要である。チャンスは自分一人だけにあるのではなく、誰にでもあり、全員にチャンスを与えるべきであり、最後にはチャンスを最大限使うことで、最終的に勝利を手にすることが出来る。
 一個人の好プレーで試合に勝った際も、一人だけで勝ったのではなく、チーム全体で勝利したものである。勝った際も、彼のおかげで勝ったとか、自分のおかげで勝ったとか言うことは許されない。一人だけゴールを決めたから一人だけ特別扱いするのではなく、チームが負けた際には全員で負けたということに過ぎないのである。自身が勝ちたいのであれば、相手を負かすようにするのであり、それはこの場合不当なやり方ではない。
 両チームともスポーツ精神に溢れ、ルールを守りプレイして、どれほどの良い結果を生もうとしても、どの試合も時に双方の観衆がネックとなりうる場合がある。この阻害要因は全否定につながる恐れも孕んでいる。観客の妨害によって崩壊してしまう試合は多々ある。それは全員の敗北である。選手も、観客も負けであり、国家と民族も尊厳を失ってしまうような試合は多々存在する。
 負けを負けと思わないような人の殆どは、事実を捻じ曲げる。「負けたはらいせ」といわれるものである。負けたために汚いことをプレイヤーもすることがあるように、試合を見る人も事実を歪曲することができるので、結果はプレイヤーだけではなく、試合の観衆にも懸かっている。
 2015年に行われる政治サッカー大会においては、観客が荒らすのか、さもなくばプレイヤーが台無しにするのかが心配の種となっているときに、主催者側が大会はとりやめになるかもしれないと言ったものだから、もはやサッカー大会の中で観客、両チームの選手のみならず、今や大会の運営委員までをも計算にいれなくてはならない事態になっている。


同じジャンルの記事を見る


翻訳者:豊嶋悠紀
記事ID:1102