《社説》民主主義と権力者の力比べ(10-38-20-1)

2014年10月07日付 The Voice 紙
民主主義制度の実施を許したイギリスの支配下から、一党独裁制を実施している中華人民共和国が主権をもつ地域として1997年に引き渡された香港特別行政区は、独裁制から民主制へと姿を変えたばかりのミャンマーと比べてみると、逆方向への体制をとっている地域である。
イギリスが中国に引き渡した時は、優れた洞察力を持った当時の中国の指導者鄧小平が、世界で初めて適用した「一国二制度」の原則で、イギリスの民主制を引き続き生かしたまま香港を発展させた。
鄧小平の死後、原理原則関係の部分の担当者は次々と後任に引き継がれ、香港島の民主主義の割合は徐々に薄れていったことがわかる。
以前、香港市民が自由に選出権を持っていた行政長官と評議員を、中国本土(中央政府)が認定した人たちのみに投票しなければならないと9月に発表したところ、その発表に対して香港の大学生の他、中学、高校生も自由に選出する権利が得られるように、大通りに何千もの人が出てきてデモを行なった。
そのデモにおいて、警察が胡椒スプレー、催涙弾などを用い、群衆が散るようにしたが、デモの勢いは一層強くなり、教員や地元住民も加わった。
不公平だと思う場合自分たちの要望を平和的に表明するということは、香港市民にイギリス政府が与えた民主主義の遺産である。10億人以上の国民を何年も厳しく統治してきた共産主義中国政府がこのようなデモに耐えられないことは、1989年天安門事件で実際に示されている。
1997年から現在まで一国二制度を上手く適用してきたと言うが、香港市民の元々持っている民主主義の権利を、中国政府が豚の腸詰をねじって作る時のように年々厳しく締め付けており、現在の行政長官選出の原則がこの腸詰のねじりを更にきつく締め付けているような状況である。
香港市民らとしても、本土の中央政府の徐々にきつくなる規則のせいで自由が減ってきていることを17年程我慢してきており、中央がより一層統制可能な行政長官と評議員を選ぶという発表をしたところで、我慢の限界を越え、本心が飛び出したのである。
とにかく、香港市民の民主主義の方法に合った平和的な意志表示や要求が、礼に適った人間社会の伝統的なふるまいであり、そのように平和的に意志表示する市民と顔を合わせ、話をして協議することなく、権力者のいつものやり方で、権力を使い服従させようとすることは、民主主義を無礼な方法で汚しているだけだと知らせるべきである。


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翻訳者:豊嶋悠紀
記事ID:1117