《社説》各党は活力があり確固としているか(10-49-20-1)

2014年12月21日付 The Voice 紙
 2015年になった。選挙が近づいている。各党は結束し活発に活動することが重要となっている。
 政党政治の時代、選挙政治の時代にあって、政党というものが、ミャンマーの国政、経済において、この50年来はじめて存在意義を持つようになった。諸政党、その党首、党員ら、また党の代表である国会議員たちは、国にとって重要な基本原則、法律の策定を実現する場面で、直接的にあるいは間接的に参画している。
 ミャンマーの発展、成功などの課題はその多くが政党にかかっている。政党が劣っていれば、国も劣る。政党が優れていれば、国も良くなる。そのように政党の存在感が高まってきたので、重要な問いを投げかけるべき状況になっている。ミャンマーの政党は、揺るぎないものになってきたか。連邦国家の運営を、彼らに背負わすことができるのか。
 今現在の党の状況を検討する前に、ミャンマーの長きにわたる歴史において政党が辿った変遷を過去のページをめくり顧みるべきだ。
 ミャンマーが独立を獲得した後の歴史において、政党は頼りになるものではなかった。1948〜1962年の間に、政権をとった政党は、国の発展より、権力争いにのみに専心した。お互いを蹴落とし、分裂を繰り返し、民主主義の名に傷をつけた。1962年、軍によるクーデターが起き、だんだんと正体を現わしてきたビルマ社会主義計画党は、国を統制することはできたが、国家発展の道を手繰り寄せることができなかった。生まれ落ちた社会主義そのものに欠陥がある上に、社会主義計画党は脆弱で、「弱り目に祟り目」[訳注:ビルマ語「ハンセン病を患い疥癬に罹り倒れたところを盗賊に襲われる]であり、国は貧困状態に陥った。1988年終わりに、多くの政党がでてきて、選挙が行われ、その勝者もいたが、権力を獲得すべく、したたかに取り入ることができず、軍の独裁制度に再び戻った。クーデターを起こした側の責任は当然だが、それを被った側の人間が十分に賢明であったのか、疑問も残った。
 1990~2011年についてはとりたてて言うこともない。政党政治を欠いていた時期といえる。活動は行われていたが、総力を挙げ取り組むことが合法的にできない時代であった。政党にとっては暗黒の時代であった。
 ミャンマーの歴史を振り返ると、政党の歴史は輝かしいものではない。66年間続いてきた因習に、現在の政党がどれほど新風を吹き込むことが出来るか、そう遠くないうちに分かるだろう。
 確かなことは、党を創設することさえできなかった政党が、国を建設することを誓うといっても、いささか信じがたいことだ。政党を統率することができないで、国を統治することができるのかと尋ねたとしたら、それは言い過ぎというものであろうか。
 要するに、ミャンマーを率いてきた諸制度が、良き伝統ではなかったために、いずれの政党も「同じ穴のムジナ」[訳注:ビルマ語「同じ籠の中の豆」]であり、例外はない。2015年になり、国もいくつかの問題を解決したとはいえ、まだ問題が山積しているときに、政党として(どの政党であれ)、時間内に中身を詰めることが出来なければ、「蜻蛉の斧」[訳注:ビルマ語「傲慢なアカアリ、高山を崩そうとして腰を痛める」]となってしまうであろう。
 確かな政党の設立にこぎつけてもらいたい。それらを愛するからでも、憎むからでもない。ただミャンマーを成功に導いてもらいたいからである。
 


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翻訳者:松浦 宇史
記事ID:1224