(社説) 思いやりを持って使おう

2015年05月10日付 The Voice 紙
夏になるので、飲み水、生活用水が問題となる場が年々増加している。ミャンマー中部地方の雨量が少ない地域においてのみ水の問題が起こってきたが、近年、ヤンゴンに最も近いダラのような郡区においても水の問題は徐々に大きくなっている。
 地球温暖化のほか、ミャンマーにおいては20年もの間森林を好きなように伐採し、資源を途方もないほど採取し、ダム、水路、堤防を手当たり次第建築した影響によって、森林は消滅し、分水界となる森林も水没し、生態系に問題があり、本来の暑さが一段階進んだので、ミャンマーの人たちは皆、暑さ(苦悩)の上に暑さ(苦悩)がさらに重ねられた状況だと言わなければならないのかもしれない。
 もう一つの苦悩(訳者注:「暑さ」と「心配」は同じ語句)は、独裁制度50年間のもとでミャンマー人の権利や機会が妨げられ、抑圧され、無視されたことによって発生した貧困という苦悩である。苦悩はすべて利己、強欲、無知である人々のせいで生まれるものばかりである。
 人々が健康に生存していくために、自然が与えてある最も重要な根源の中で水はいちばんの基礎で最重要であると言わねばならない。それほど重要な水を、ミャンマーでは貴重なものとしなければならないことを(人々は)よく知らない。
 ヤンゴンのようなところでさえ、市開発委員会が設置した水道管の漏れ、穴開き、浸水が多い。水道の蛇口を開ければ水が出るという程度のことだけを知っている人が増えているため、水をきちんと節約して使うことがない。箸1本、スプーン1本程度を、水道の蛇口を開けて勢いよく流れる水で洗っている。
 飲食店、事務所、ショールーム、ショッピングセンターのように水道税を納めて使用している場所は言うまでもなく、瞑想センターや僧院のように、一般の人の寄付金によって使うことができる場所においてさえ、何を洗うにしても水道の蛇口を開けっぱなしで、むやみに使用しているのを見かける。
 水かけ祭りは、最も悪質な水の浪費である。何十万、何百万ガロンの水を地面にふりかけているようだ。ミャンマーの伝統的な新年の水かけ祭りであるため、水をかけるのをとがめるのか、と言いたい人には、4、50年前の水かけ祭りがこれほど水を無駄にしたかどうか振り返ってみろと言いたい。
 水をむやみに使用している人たちに言いたいのは、飲料用、生活用の水さえ得るのが困難なので、水1杯、水1缶のために4、50マイルもの道を歩いて行き、1日中待って水を汲まなければならない苦労に毎年遭遇する地域の国民に少しでも気を使い、思いやりを持ってきちんと節約して水を使用しようということだ。
 もうひとつは、水の問題が起こるたびに国民が自分たちの力で自発的に解決しなければならないようなこと、社会組織の働きかけによって、大衆が心遣いをして水を寄付し支援しているようなことを、毎年耳にしたり、目にしたり、遭遇したりせざるを得ないことについて、国民のために国民に関する役務をしなければならない主な責任者、地域レベルから国家レベルまでの政府という組織が自ら恥ずかしいと感じるなら、それは非常に恥ずかしいことだ。
 新しい政府が発足したときから、良い行政制度の実現、清廉な政府の構築、貧困の削減、現代的で発展した新しい民主主義国家の建設などの風でおおきな波は起こっているが、今日、この日、このときまで飲み水、生活用水さえまだ充足できていないのはなぜかと尋ねてみたい。


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翻訳者:平野美華
記事ID:1423