(社説)ミャンマー人は時間をもてあましているのか

2015年05月24日付 The Voice 紙
外国人の知人にミャンマーについて彼の率直な意見を聞いた時、彼は1つだけ言った。ミャンマー人は時間をもてあましているのか、と。
 彼がそう言うのも、もっともである。たしかにミャンマーでは人々にとって時間が余っていて、時間を無駄にしている人がいるが、無駄にしたくないのに自分の時間を割かねばならなくなっている人も多くいる。時間を無駄にしている人たちはそれほど多くない。国家の経済計画による資産分配の割合が均等でなかったために両親の稼ぎで暮らしてゆくことができ、仕事もせずに漫然と時間を浪費している人、そして、政府や会社が馴れ合いで仕事を与えたため、きちんと責任を背負わずに気ままに暮らして時間を浪費している人である。
 私たちの国の低質な計画、拘束力の弱い法のため、時間をとられる人たちも多くいる。例えば、健康のために病院に行く人たちを見よ。周知の通り、病院や警察というものは誰も行きたくて行くのではない。しかたがなく行くのである。
 特にヤンゴンのようなところでは、専門病院で特定の病気の専門医の検査、治療を受けたい人であれ、政府病院で定期的に治療を受けたいためであれ、予約した時間と実際に治療を受けられる時間とがかけ離れすぎている。ミャンマーの鉄道で旅に出る人たちもあまり異ならない。列車の出発時刻、到着時刻は絶対に定刻通りでない。
 それで、病院や診療所に診察に来た患者1人と付き添い1人の少なくとも2人、鉄道旅客1人と見送り1人の少なくとも2人が、最短で6時間ものあいだ、路上や病院、診療所、駅で何をするでもなくただ座って待ちながら、時間をすごさねばならない。
 人にはみな自分の生活と仕事があり、時間という時間が大事で価値があるのである。あらゆる秒、分、時間を全ての人がそれぞれ自分の仕事に応じて所有する権利がある。しかし、診療所や駅でのように時間が不規則であったり、時間を軽んじていたりするため、価値ある自分の時間を割かねばならなくなっていることはとても不公平である。そうした時間を1時間あたりの最低賃金で乗じれば、その価値は少なくない。毎日、そのように待たねばならない全ての人にきちんと表を示して計算してみたら、1日あたりに損失した時間と労賃は少なくないと出てくるであろう。それですら、待ち時間に失った機会の価値を含めては計算していないのである。
 言いたいことはこうである。ミャンマーに顕著な時間の軽視、杜撰な時間割り、他人の権利や価値を尊重しないことなどのために、時間を無駄にしている人、時間を割くことを余儀なくされている人たちがいるかぎり、時間をもてあましているかのようになるため、時間をお金で換算して発展するように常に努めている国々の後ろで遠く取り残されつづけることになると知らしめたい。


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翻訳者:久宗美里
記事ID:1490