(社説)捨てられた首都なのか(Daily、Vol-3/No-46)

2015年06月01日付 The Voice 紙
変容する時代とはいっても、実際には、独裁制度の期間中ずっと拘束したり統制していたのを緩和する段階でさえ、最初の作業がまだ実現し始めたばかりに過ぎないのは、任期の4年以上を費やした今日まで無くならず、横領が残存していることが証拠を表している。

 社会主義と名が付いた、一党独裁制度が始めた、計画を見せ、事業を示しておきながら私欲をはかる有り様は、軍事独裁制度において最悪の状況になってしまい、今日民主主義と名が付いた時代まで収拾できず残っているのは、実際に変革したい人の名誉を傷つけ人民の失望もさせた。

 市の名前を付けるのに適切か、または適切でないかミャンマー語が堪能で理解できる人たちのあいだでは疑わしいネーピードーの名前がある新しい市に行政機関が移動した後、ヤンゴンを経済の都として、変容するとほのめかし、有名な場所、建物、多くの国民に関係のある場所、憩いの公園、防火帯、競技場、学級の土地で、連邦政府、地方政府、市開発委員会にいる最高幹部や、上層部の役人が図々しく職権を濫用しているというニュースが民間マスメディアにおいて知りたくも見たくもないあらゆるものが見かけざるを得なかった。

 職権の濫用が、法律にのっとって働いているかのように、ホヤホヤの所有の根拠を権力の濫用に使うこともできるほか、どのような国でも触れずに法律によって別々にしなければならない公共の、または国の財産としなければならない場所や、敬意を払って保存しなければならない有名な基本的なものさえ今まで恐れず貪欲に占有するために努力していたことは、法律の前に何かがあるようである。

 都市ヤンゴンの特別な象徴のひとつとして維持しなければならないばかりか、都市の周囲の地下の水資源を保護するインヤレークのような有名な池さえ埋め立てて土地を広げる行為の許可を与えたのは、独裁政府はより悪質な振る舞いである。

 同様に、都市において新しく建てたすべての高層の建物が駐車スペースを十分に確保することなく、大通りまですぐの場所まで場所をたくさんとって杭基礎を打っていて、仏塔の場所をまるで遮るすきまがないくらいに存在している争いのおこりそうな場所において、どの場所でも実現させなければならない住宅計画の許可を与えること、多くの国民の憩いの場の公園における木、花を伐採し、飲食店、売店のために建物を建てる許可を与えること、ガソリンスタンドを公共の場所において許可を与えることなどは、イギリス植民地政府ほどすらさえも法律を順守せず思うがままに見境なく振舞っている形になっている。

 ここで特に述べたいことは、ミャンマーの歴史的な都市ヤンゴンを、空腹で互いにガミガミ言いあうきつねやオオカミ、カラスどもがこぞってかみちぎり、くちばしでつつくようにと放り捨てられた肉のようだとみなせる様子を、大変不愉快に感じる都市の人々が増えてきたとしたら、さまざまな状況について責任者である政府に対してのみ多くの人が非難するだろうということを知らせたいということだ。

2015年5月31日 編集者


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翻訳者:平野美華
記事ID:1526