(社説)以前の悪行は新年の水祭りで洗い流せ(Daily, Vol-4/No-7)

2016年04月08日付 The Voice 紙
過去50年以上の間に開催してきた新年の水祭りと比較すると、今年はミャンマー国民にとって最も意義があり、最も楽しいお祭りだと言えるだろう。

それは、国民が一丸となって希望する指導者と党を投票によって選出し、国民が選出した国民の代表からなる連邦議会が選んだ、初めての真の文民大統領が指導する内閣が、活動を始動した時でもあるからである。

1962年以降、国を支配してきた独裁体制の影響で、多くの傷を負い、茎が隙間だらけで脆弱してしまった一本の木にも似た国にとって、今年の水祭りで撒かられる水は、再び若々しさや溌剌さを取り戻す活力を与えてくれるであろう。

水祭りは、50年以上も抑圧されてきた国民にとって、怒りの捌け口を与えてくれるだけでなく、前の年からくっ付いてきた汚物を洗い流してくれるお祭りであるとも考えられてきた。

人間と体制のそれぞれの思惑に従って武力に頼る人々が造り出すことで出現する独裁体制、そのような独裁体制を採用する社会では、人々の行いが悪い方向へ容易に向かってしまい兼ねない。

独裁体制が半世紀以上続いたミャンマーでも、支配を行う権力者の悪行の数々がミャンマー社会全体に対して直接的にも間接的にも影響を与えてきた。

独裁体制の下にある統治機関は言うまでもなく、権力者といつも連携している企業など、一応は民主主義を標榜している組織、結社、企業であっても、独裁体制の悪行と無縁でない言動をとりがちである。

体制が移行しても統治者が変わらなかった5年間の(前政権の――校閲者註)任期中に、一部にはプラスの変化があったものの、長年深く染み込んだ悪徳心が今日の体制が移行し統治者も入れ替わる時代の始まりにもまだ残っているため、「変革のときは熟した」と言わねばならないである。

独裁体制期を通じて、はっきりとあるいはそれとなくとり憑かれてきた嫉み、欲望、差別意識、特別扱いを受けたがる気持ち、強引さ、卑屈さ、復讐心などの悪徳の汚い心全てを、今年の水祭りの爽涼な水で洗い流して綺麗にし、善良な功徳が生まれるようお祈り申し上げる。

編集者(2016年4月7日)


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翻訳者:倉橋美希
記事ID:2381