(社説)言葉と主権(Daily, Vol-4/No-71)

2016年07月03日付 The Voice 紙
 ミャンマーで産まれ、ミャンマーに住み、ミャンマーで就学する、ビルマ語を話すミャンマーの子供たちが、ビルマ語の読み書きができないというと、近隣国を含む世界の国々が驚くだろう。

 さらに驚かされるのは、ミャンマーにおいてイギリス人がイギリスの承認を得て開校したあるインターナショナルスクールでは、就学しているミャンマーの子供たちも含め全員に中国語を必ず教えなければならないという規則が定められていることだ。

 ビルマ文学、ビルマ語、ミャンマーの文化や慣習などとともにミャンマーを本気で好きなミャンマー人からすれば、このような学校の規則に対して、実際非常に腹を立てるのもうなずける。

 しかし現実はというと、その学校に通う生徒の親の多くは、子供たちに中国語を必ず教えるという規則と、ビルマ語に興味がある人だけ追加の教科としてとりあえず勉強するという規則に異議は出なかった。

 問題は、ミャンマーで利潤を追求しようとしに来た外国人が、ビルマ文学やビルマ語を尊重せず、無礼な態度をとっていることだ。このようなことは、東南アジアを含め非英語圏どの国においても見受けられない。

 中国人が多く存在するシンガポールのような国でさえ、小学校から中国語、マレー語、タミル語の3種類の言語の中から好きなものを1種類必ず勉強しなければならないと定めてある。この国の非常に重要な教育分野に参入して利潤を追求する人々に対して、この国の人々の考えを尊重してもらう規則を定めること、管理監督することは、立法機関と行政機関に責任がある。

 ここで何の関係もなく取り上げたとは思ってほしくない。ドー・アウンサンスーチーを例に挙げよう。ドー・アウンサンスーチーというと、小さいころからインドで学校に通い、イギリスのオックスフォード大学に通い、国際連合で働いていたが、今日までビルマ文学やビルマ語を重視し、尊重している。

 彼女がミャンマー国民に対してビルマ語で話す言葉や演説のすべてを見ると、英語を間に挟んで使っていることは全くない。ビルマ語で、ビルマ語の語彙だけを使って話していることは非常に尊敬できることだ。

 話をする際に英語を挟んで話すのが洗練されていると思っている私たちのような曲りなりにも英語ができる人々とドー・アウンサンスーチーを比べると、私たちは非常に恥ずべきだということは明らかだ。

 役所、学校、全土で使用するものとして、正式に憲法で規定されているビルマ語を無視し、中国語を必ず勉強しなければならないと定められた学校に罪名を付けて処分できるというなら、(この学校は)この国の主権と憲法を尊重していないという意味だと言わなければならないだろう。

 このように罪名を付けて処分しなければならないのはほかでもない。ミャンマーで学校を設立し利潤を追求しているのは外国人でもあり、各所の関係者、権力者と会って一緒に写真を撮り、就学させている生徒の親を威圧するように、(軍事)独裁政権の時のような方法で権力上層部に通じているとか、やりたいことをするとか、何も言ってくるなとかいう様子で行動しているようでもあるからだ、と言わなければならないだろう。

 英語が話せ、中国語も話せるが、ビルマ語の読み書きさえできない中途半端で西洋かぶれの役立たず、中国かぶれの役立たずのミャンマーの子供たちが増えたら、私たちの国の中においてでさえ文化や社会問題に基づく問題や争いが増えることは間違いないということを予め警告させてほしい。

(編集者 2016年7月2日)


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翻訳者:河野美由貴
記事ID:2720