(展望)廃れた大都市ヤンゴン(2016年10月6日 13)

2016年10月06日付 The Voice 紙
 シュエダゴンパゴダ通りからランマドー通りにかけて、アノーヤター通り一帯が停電する問題について、ヤンゴン管区域議会で、ある議員が質問した。その問題についてウー・マウンマウンソーヤンゴン市長が答弁したのは、電線がないから電気がつかないというものであった。質問の主旨は、道路沿いに電気が灯らないため、暗がりとなっていることであったが、答弁者はそれに対し電線がないから暗いのだと答える。いつになったら復旧するのかということについては触れない。質問と答えが堂々巡り、隔靴掻痒というべきある。国家第一の経済都市ヤンゴンで市民の代表者たる議会議員が緊急の課題として問い質すべきことは何なのか。ありとあらゆる経済問題、社会問題に直面し泥沼の只中にあるヤンゴン市で、問題のごく一部について、質問者が問い、それに対し議会大会議室で回答者は恭しく回答する。「電線がないのです」と。市長が「電気の復旧作業を何日間で終える」と約束したなら、その質疑応答は人々にとって納得いくものといえるだろう。だが現実はそうではない。これこれのためにこうなった、それだけ。答えがない。電線がないから電気がつかない、電線があれば電気がつく。いつ電気がつくのかについての言及がない。
 国内で、連邦議会、州/管区域議会が仰々しく開催されている。連邦議会では、毎日動議が提出され、賛成や反対、意見が戦わされ、担当大臣も誇らしげに登場、回答する光景が日々見られる。質問も、個々の議論も適切に行われている。回答するために登場する担当大臣が答えられず往生することも一切ない。こういう原因でこういう結果になる。これこれがまだないからこれがまだできていない、などなど…。このようにして新政府の議会は運営されている。
 他の人たちがどうかは知らないが、私は議会の質疑応答に今では特別興味を持たなくなった。現状に全く変化がないまま、悪い面、過失、弱点だけを批判し合う程度のことをもう聞きたくなくなった。一方が指摘し批判したことを、政府側が責任を持って直ちに解決できるよう取り組むなら納得できる。一部の問題は50年以上前からある問題なので、病状は深刻、すぐには解決できないということも理解している。だが即刻解決できるような問題でさえもうんざりするほど残されたままではないか。
 例を挙げれば、大都市ヤンゴンの電力不足、頻繁な停電、市全域での渋滞、一地点から別の地点にたどり着くにも一苦労、路上に侵入する物売り、物価の上昇、職に就くチャンスが中々ないことなど枚挙にいとまない。停電など言うに及ばず。ヤンゴン市民は慣れきっている。軍政時代のような長時間停電はなくなったのだからありがたいと言うべきほどだ。ヤンゴン管区域議会議員の質問に倣って言えば、ヤンゴンの街中では街灯に電気が来ず、暗がりになっている場所は数えきれない。他でもない大都市ヤンゴンの有名なスーレー大通りさえも停電して久しいということが起きる。これは電線がないからではない。電力が追いつかないか、わざと電気を止めているのかは分からないが。実際外国人観光客が自由に出入りしている街の中心区さえも街灯を点けられないヤンゴン政府である。日没近くなってスーレー大通りを通るたび、一部の街灯は灯り一部の街灯は消えているのを目にする。電球がきれているのである。もしもスーレー大通りにシャングリラホテルやサクラタワーなどがなければ通り一帯が真っ暗になっていただろう。大通りで街灯が点いていないのはヤンゴンでは書面を作成して質問するほどの問題ではなくなってしまっている。
 先頃ヤンゴン市長らが裏通りを一斉に清掃したというニュースを読んだ。都市の発展についていうなら、ゴミ問題に言及せざるを得ない。新市長もゴミ問題が喫緊の課題だととらえているように見える。それは正しい判断だ。だが、今のところ本当に優先しなければならないのは裏通りではない。表通りなのだ。表通りからゴミを無くす取り組みをせずに裏通りばかり「ロンジーも尻はしょり」の勢いで清掃しているが、まずは家の前をきれいにする、そうすればそのうち家の裏もきれいになっていく。もっと学んでもらわなければならない。
 ゴミといえば、ヤンゴンのゴミ収集システムも、今より良いものを考えていかなければならない。他のアジアの大都市ではどんなシステムを採用しているのか。今の制度は以前の市長の時から採用しているものである。他の人がどう思っているか知らないが、筆者としては街中の路上、地区の路上でゴミ収集の台車が行き交う光景はあまり見たくない。ゴミ収集の台車が車道を行き来することは多くの車両が行きかうなか危険である。そして汚らしい黄色のゴミ箱も街の美観を損ねている。新しい市長になったのだから、新しいシステムを考案してこそ、その真価がわかるというものではないか。
 今もヤンゴン市長、ヤンゴン管区域政府ともども、大都市ヤンゴンが幾時代もの間直面してきた問題を独自の方法で解決できている様子はない。今は古いやり方、旧政府のやり方を踏襲しているだけだ。10年生試験が近づくとビール屋を早く閉店させる、マッサージ屋を取締まる、夜10時に大通りを閉鎖し、通行しようとするすべての車を止め、名前を訊ね、懐中電灯を照らし、検査するなど。
 露店の問題も長年にわたり解決できなかった。今の新政府はどのように解決しようと考えているのだろうか。大都市ヤンゴンの清潔度は隣国ラオス、カンボジア、ベトナムより劣っている。ビェンチャン、プノンペン、ホーチミンのほうがヤンゴンよりきれいになった。ヤンゴンはバングラデシュ、パキスタン、インドの大都市のように雑然とした無秩序な都市になってしまった。数年前にパキスタンのカラチを訪れた時、大通りに牛車、馬車、バイク、ランチャー、自動車が、大急ぎで行き交う横に露店がぎっしりあふれていたのを私は見たことがある。
 今、ヤンゴンの街中でサイカー[自転車タクシー]はふつうに通行しているが、筆者の記憶の限りでは、1988年以前は街の中心区はサイカー侵入の規制区域となっていて、夜だけはこっそりこいでいたものだった。ヤンゴン市中心区の歩道は3分の2ほどがこの2年間に道路拡張工事のためつぶされてしまったので、歩道の露天商はみな車道に出て商売をするようになった。歩道が狭くなったので、路上に出て売らなければならなくなったのだ。歩行者も車道に出て歩いている。ヤンゴン市中心区はあまり歩きたいとは思わない地区になった。バー通り、30番通り、29番通り、31番通り、32番通り、33番通り、34番通り、ボーヂョウッ通り、パンソーダン通りは、1988年以前から持っていた美観を失った。拡張工事により破壊された歩道は露店や物売りが集まる場所になってしまったし、水はけ排水をきちんと考えなかったため、汚水や汚泥がたまっている。そこからあまり離れていないところに汚らしい大きい黄色いゴミ箱がひとつ。バー通りやマウントーレー通りの角では、物売りが歩道でない道路上で平然と物を売っている。私は都市開発委員会が彼らに午後遅くの時間を区切って営業許可を与えたのだと知った。見た目が悪いのは街中のスーレーバス停付近で行列を作って商売をしている、行商の物売りたちだ。食べると健康に害を及ぼすような和え麺、串肉、その他の食べものを売る屋台に、日が暮れるとプラスチックのいすを置いて列をなしているのを見かける。外国人観光客が散策する場所をこのような見た目よくもない物売りたちが占拠しいる。
 露店問題だけでも言い尽くせないほど話があるのだが、誰もが直面している交通渋滞や乗客輸送問題は絶対に解決しなくてはならない問題である。そのためヤンゴン新政府も対策を進めているのは知っている。しかし、現時点で、実現したものはない。道路渋滞は常態化している。一般市民を運ぶ新しい輸送手段を考えるべきだとメディアも学者も主張しているので、ヤンゴン交通公開会社を設立し、取り組みを行っていると聞く。だが、今に至るもヤンゴン市の乗り合いバスの運行は、競うように追い抜く運転手、乱暴な車掌、色褪せたおんぼろの中古車両で賄われている。
 自動車は規則を守らない。人も規則に従わない。人々が法令を遵守しなくてはならないということをわかっていないので大都市ヤンゴンはカオスと化している。スーレー大通りのある中心区は最近、四角形の立体歩道橋を導入した。人通りの多いその場所で歩行者たちは陸橋を渡らず、今まで通り下の道路を横切って楽をしている。安全のために造られた陸橋であるのに、規則を守らない通行人たちは習慣を改めない。バス停を定めても、バスがバス停に止まらず、信号の脇に止めては何食わぬ顔で客を乗せている。
 露天商は道路で物を売っている。人は横断するために陸橋を造っても、その陸橋を渡る人がいない。バス停を定めてもバス停ではない信号の横で止まって客を乗り降りさせる。ゴミを捨てられるようにゴミ箱を設置してもゴミ箱の中に入れずゴミ箱の横にゴミ袋ごと置いていく。大都市ヤンゴンでは改めるべきところがたくさんある。すぐには難しいということも分かっているが、責任ある政府として、大局的観点に立ち智慧を働かせ計画的に解決することが求められている。 
                     
チッウィンマウン


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翻訳者:井坂理奈
記事ID:2815