(Editorial)ミャンマーの水祭り、マンダレーの水祭り (Weekly Vol.13 No.11, 2017年4月10-16日 20)

2017年04月08日付 The Voice 紙
 水祭りはミャンマーを含め、中国(雲南)、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムなどのメコン地域にある6か国全てで共通して開かれている伝統的な祭りである。
 2004年から、これら6か国の政府は合同でそれをメコンの水祭りと定義し、毎年国ごとに順番に主催国として開催を続け、今年は13年目であったが、すべての国が参加できなかった年もあり、当初程には人々に知られることがなくなっている。
 ミャンマーの水祭りが他国と違う点は、ミャンマーの伝統暦に基づく新年が始まる、もしくは新年を迎える最初の祭りであるということ、水祭りの踊り、美しい特設ステージ、車両の装飾を競うコンテスト、時代の制度をからかい風刺する歌のコンテストを開催することなどである。
 そのほか水祭りが終わり、新年元日にはジウィタダーナ(放生会)と呼ばれている動物を禁猟区に解放すること、国全土が広く災いから免れることができる護呪経を読誦すること、国を挙げての祭式として恭しく開かれることなども他国とは違う慣習である。
 水祭りというとミャンマーではヤンゴン、マンダレー、モーラミャイン市で開かれるものが特別有名で、ヤンゴンでは風刺歌、マンダレーでは水祭りの歌、踊り、きれいに飾られた車両、モーラミャインでは水祭り初日から元日までの間、公式に水をかける許可が出されることなどが特徴として人々の知るところとなっている。
 同様に水祭りでは、映画や音楽業界の人気著名人が、水をかけ、音楽を演奏し楽しませるが、どの場所を選ぶのかによって、盛り上がり方に差が出ることがある。このように有名人も水祭りをにぎやかに行う場所を選ぶことが恒例となっている。
 ミャンマーの戦後の水祭りを調べてみるとき、マンダレーの水祭りは、国中の水祭り好きが特別に興味を持ち訪れ楽しみたいと願う、ひときわ盛況な水祭りとして毎年のように開かれてきたことが分かった。
 毎年聞く水祭りの歌なのに、輝きを失うことなく、歌い演奏し楽しませるミョウマ楽団と、その有名な水祭りの歌を作ったミョウマニェイン達は、マンダレーの水祭りとは切り離せない象徴的存在であった。
 有名な芸能人の一人、作家、作曲家、歌手、映画監督、俳優でもあったウィンウー、水祭りの歌を誰よりも楽しく心躍らせる歌にした水祭りの立役者で俳優でもある歌手のゾーワンらも、ミョウマと同じようにマンダレーの水祭りを際立たせ元気づけた人たちであった。
 時代、制度が姿を変えるのに応じて、ヤンゴン、マンダレー、モーラミャインを含む国中で、水祭りが開かれる形態、水をかけ遊ぶ様子は変わったが、伝統を維持しそれに沿って毎年開催しているのが、ヤカイン伝統水祭りである。
 水祭りは伝統や習慣を受け継ぎ維持することで、伝統的な新年を迎える祭りとして開かれているが、時代、制度などにより、一年中こらえ封じ込めていたものを吐き出し、気持ちを発散させる祭りであったため、麻薬、酒、ビールではめをはずすことや、みだらな服装などが入り混じるものとなっていた。
 2015年総選挙が終わり誕生した政権では、階層にかかわらずみんなで参加し楽しむことができるようにという趣旨で、主に経済事業のマーケット広告の力を当て込んで、これまで市長だけが取り仕切っていたヤンゴンの水祭りを、ヤンゴン管区域政府が変わって受け持ったのだが、突然形を変えたために、2016年はマンダレーの水祭りが国中の水祭り愛好者の注目を集めるものとなってしまった。
 以前から続けられてきた水祭りの習慣を、突然変えてしまうようなことはせずに、状況に合わせ、歩く水祭りのように一方では伝統にスポットをあてるなど、機転の利く関係者らが企画するという理由から、今年もまたマンダレーの水祭りを、ミャンマーの水祭りとして目にすることになろだろうと言わんとするものである。


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翻訳者:土居涼香
記事ID:3314