(社説)一歩ずつ確実に実現してもらいたい(2017年6月19日 6)

2017年06月19日付 The Voice 紙
 昨日SNSにおいて、地下都市を実現させるという、ヤンゴン市長の発言があり、それに関して、ヤンゴン在住の市民のみならずミャンマー国民の間からも批判が起こるという事態が起きた。豪雨による度重なる洪水や浸水の発生、頻発する停電、交通渋滞など、ありとあらゆる問題に直面している時に、地下都市を建設するというのだから、国民から大いに問題発言と捉えられたとしても不思議はない。だが、ヤンゴン市長は、一方で電気が十分に得られることが一番に必要なことであると言っており、ヤンゴンの地面の下に、地下都市がいつになったら出現可能なのか、その答えも自ずと明白である。
 一つの国における一制度であれ、一政府であれ、変化が起きたら、あるいは変化が起きようとしているなら、その制度と統治する政府の構成員が、以前の統治下における人々の生活状況、水準をさらに良くするために何が実行できるかという点に、国民皆が特別関心を持つものである。税金問題、電気料金、基礎教育の費用、保健衛生、法律の保護などに関して、直面している困難をどれほどの範囲まで改善することができるのかということに関心があるものである。同様に、進歩した国のようにスカイトレインや高架橋、地下鉄などのインフラを、新政府の時代に、実現させることができるのか否かということにも国民は関心を持つものだ。けれども先進国の国民であれ、発展途上国の国民であれ、新たな制度、新たな政府、とりわけ自分たちが信頼し投票した新政府の時代には、自分の生活が安全で安心できる状況のなかですごしたいと望むのは国民の誰しもが抱く共通の思いである。そのため、諸政党は前政府の最終時に、その政府の治世における弱点、言い換えるならば国民を充足させることができなかったことを考慮し、困難を解決するようにできるプログラムと戦略を明らかにして、選挙運動を戦ったのである。
 そのような選挙運動においても、新たな政府を組織し公約を実現するという際においても、政治家や政府の構成員にとって重要な点は、「実現すべきこと、実現したいこと、実現できること」というものをはっきりと区別して理解しておくことである。なぜなら、国民というものはいつも「実現したいこと」の方を向くものであり、国民から支持を得たのだというそれだけの理由で、実現できる可能性がない、言い換えれば遥か遠い未来にしか実現できないことを発表してしまうとしたら、自らが責任を負っている統治機関と自身の政党の名誉を貶めてしまうことになりかねないからである。
 つまり言いたい重要なことは、良い統治機関というものは、それ以前の統治機関が〝က″カジー[訳者注:ビルマ語アルファベットの最初の文字]という文字を書けたのだとしたら、自らは“ခ”カグェー[ビルマ語アルファベット2番目の文字]を書けるように努力し実現する人であるということであり、〝က″カジーを“ယ”ヤッパレッ[ビルマ語アルファベット26番目の文字、カジーをひっくり返した形]になるように努力する人ではないということを、国民にわかるよう、しっかりと証左により示していかなければならないということなのである。
編集者(2017年6月19日)


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翻訳者:郷原拓海
記事ID:3606