(社説)子供たちというのは国家にとっても宝である(2017年6月20日 6)

2017年06月20日付 The Voice 紙
 現在大学入学(高校最終学年)合格リストが発表されていっており、合格した人たちはそれぞれの大学へ入学して学習を継続するため準備をしているところであろう。そして合格できなかった人も翌年確実に合格できるように、気を引き締めまた奮起するよう準備しているところであろう。成績優秀の評価付きでの合格であれ、優秀評価なしの合格であれ、高校最終学年合格といえば両親や先生方、兄弟姉妹親戚一同が喜び褒めたたえてくれることが当たり前のようになっているが、様々な事情で不合格になった人たちを非難することなく、確固たる熱意で集中し再び努力したいという気持ちになるよう、なんとしても励ますことが特に必要となろう。感情の起伏が激しく、感受性が強くなりがちな十代の若者で思春期に入ったばかりの人も多くいる。不合格だったことに対し、言葉を掛ける自分たちの態度や言葉が良い方に働かず悪い方に働くようなことにならないよう、両親や先生、兄弟として肝に銘じておくべきだとまず言っておきたい。

 ミャンマーで大学入学(高校最終学年)試験は極めて難しい能力検査試験の一つであると、代々両親や先生はよく注意喚起してきたものであるということは、つまりこの試験から生まれる結果がミャンマーの教育制度に基づき、1人の人生の道筋がまっすぐ伸びる可能性があるかどうかについてある範囲までは明らかにできるからである。これに加え、基礎教育を受ける生徒1人のために、時代に合わせ高額となってきた教育費の中で高校最終学年の生徒1人のための教育費は最も高い状態であり、高校最終学年の試験は受験者両親にとっても大変重要な事柄のようになっている。そのような事情のため、多くの両親たちは高校最終学年をなんとしても合格するように、また合格したとしても良い点数で合格するよう、高校最終学年に上がるときからしきりに注意をすることがあるだろう。しかしながら、両親の注意は時に精神的な負担が大きくなりすぎるほどに圧力をかける形になっていくことがありうるので、希望していることと全く反対の悪い結果のみをもたらしうるということに、特に注意を払うべきである。例えば、今年、高校最終学年の合格者リスト発表のあと、試験に落ちたため死ぬことを企てる状況にならざるを得なかった女子生徒らの心痛むニュースを昨日および今日の新聞で見ることができる。

 両親というのは子供たちに対し、象に乗り馬に囲まれる(訳者注:故郷に錦を飾る)状況を常に見ていたいという願望のある人々であるということはその通りだが、時にそうした気持ち、思いが自分の子供を人として正しい方向に導いてやれないような状況にさせることも理解することが必要である。例えば、自分は医者という名誉を大変好んでいるので、医学を学べる点数に届いた子供たちを医者にするため彼らにプレッシャーを与えても、子供たちは故タントゥン博士のような世界でも著名なミャンマー歴史学者になる夢をもっている、というようなことを意味する。いずれにせよ、現在高校最終学年を合格した生徒らとしては、獲得した点数に基づき、それぞれの大学でそれぞれの科目を選択する権利を得られるところ、両親として自分自身のそうさせたいという願望と子供たちがそうなりたいという願望2つの中でどちらを優先すべきか考え検討するべきであることが、注意の要点である。なぜなら高等教育を引き続き受けていく若者は、両親のためのみならず、国家の将来を輝かすために導いてやることのできる宝物なのだといえば、どうにも間違えようがないからだ。

編集者(2017年6月19日)


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翻訳者:郷原拓海
記事ID:3614