(パースぺクティブ)バングラデシュとの国境にミャンマーのジャーナリストはなぜ行かないのか(2017年11月17日 13)

2017年11月17日付 The Voice 紙
挑戦のさ中、確かでないミャンマーの将来

 ドー・アウンサンスーチー政権が誕生して以来、ミャンマーについての討論会が随分減ったノルウェーのオスロ市で、11月7日(選挙2周年を迎える日)、「挑戦のさ中、確かでないミャンマーの将来」と題した討論会が開催された。Norad (Norweigian Aid[ノルウェー開発協力庁])が主催したこの討論会で、キーノートスピーカーとして討論したのが、ミャンマーの歴史学者であり作家でもあるタンミンウーと、ノルウェーの(コフィ・アナンのヤカイン諮問委員会メンバー) Andreas Indregardであった。
 Noradは2010年の選挙後、正確に言えば2012年の中間選挙にドー・アウンサンスーチーが参加して以来、ミャンマーの一連の民主化への移行に協力してきた。平和、自然保護、行政組織の能力向上を含め、数多くの分野で協力していて、2016年1年で2億5200万クローネ(約3100万米ドル)を支援したとのことだ。
 ミャンマーで現在起きている民主化への移行作業、平和事業と数々の挑戦についてタンミンウー氏は説明した。2番目の討論者、Andreas Indregardは、世界中が注目しているヤカイン(ラカイン)州北部のベンガル問題(討論者らはロヒンギャ問題という言葉を使用した)だけをテーマにして述べた。彼が述べたことの大半はコフィ・アナンの報告書を参照して述べられたものだ。
 それら多くの発言の中から最後の提言に含まれる「ミャンマーのジャーナリストらはバングラデシュ国境にある難民キャンプまでなぜ取材に行かないのか」、「バングラデシュのジャーナリストらもミャンマー側になぜ行かないのか」という問いは、筆者の関心を引いた。

バングラデシュ国境にミャンマーのジャーナリストはなぜ行かないのか

 このようにお互い情報を交換できたら、両国の国民の間で相互理解が増すだろう、国境で起きている問題を解決するためにも大変助けになるだろうと、彼が述べた。現時点でロヒンギャ問題に対してバングラデシュ・メディアが明らかにしていることと、ミャンマー・メディアが明らかにしていることは正反対というべきほど食い違っている。国境の柵の向こう側で何が起きているのかということを、両国のジャーナリストがしっかり現場に出向き学ばなければならないと彼は述べた。
 彼が問いたくなるというのもなるほどわかる。CNN、BBC、Aljazeera、Skynewsのような国際メディア、New York TimesやWashington Post、Guardianなどの国際新聞のジャーナリストらが独自に難民キャンプと国境に入り込み、毎日ニュースを発信している時、ミャンマーのジャーナリストはなぜこの地域に行き、ニュースを取ってこないのだろうか。
 先日(11月13日の月曜日)などの場合、Skynewsが夜7時のニュースの1時間全てロヒンギャ問題だけを特別番組として取り上げたのを見た。他のニュース局も有名なジャーナリストらが自ら国境まで行き、取材し報道している。これらはASEAN会議、米国大統領のアジア歴訪、米国国務長官のネピドー訪問などと時期を同じくしている。
 このような時にミャンマー人ジャーナリストらはバングラデシュ国境まで、なぜ行かないのか。タイ・ミャンマー国境の難民キャンプにミャンマーのジャーナリストは度々訪れるが、バングラデシュ国境の難民キャンプまでニュースを取りに行くミャンマー人ジャーナリスト(9月に拘束され、送還されたドイツ雑誌GEOの報道記者ミンゼーヤウーとクンラッ以外に)はまだいない。なぜなのか。

読者が好まないものは自主規制するのか

 国内外のミャンマー人ジャーナリストの一部に質問したところ、ロンドンを拠点とするBBCミャンマー放送局の責任者の一人が難民キャンプでの取材許可を得るためにバングラデシュ大使館でビザを申請しているが、かなり時間がかかっている。今までに返答が何もないと言う。ヤンゴンにいる編集者の一人は、一人で行くのは簡単ではない。グループで行けるように頑張っていると言う。報道評議会のウー・ミンチョーは、読者が好まないニュースを載せたくないから行かないのかもしれないと述べた。
 「1点目がミャンマーの通信社は外国に行き、取材するにも予算的に困難があることだ。2点目は読者が嫌いなもの、もしくは読者と考えが異なるものを新聞やジャーナルに載せることをジャーナリストや発行者が恐れている様子が窺える点だ。この点が特に重大だ。」と彼は述べた。彼が述べた2点目を報道の自由と民主主義を唱えている人々全てが、真剣に考えるべきだ。
 今この記事を読んでいる人の中には?どうだろう、彼が言うところの読者リストに入る人々もいるだろうか。自分と考えが一致するニュースだけを聞きたい、賛同しないニュース、記事はもう読まない、なのだろうか。そうであるならば、考えの異なる人々と手を携え行動すること、宗教の違う人々、国籍の違う人々、肌の色の違う人々と共存して暮らすこと、多文化を享受することは、単なる空想となっているのだろうか。
 言い換えれば、NLD政権下で検閲はないというが、読者が怖いから自ら検閲する、自主規制する存在にミャンマーのジャーナリストはなってしまっているということか。民衆を導き知識を与えなければならないジャーナリスト、自由に異なる見解を持つ権利を責任をもって明らかにすべきジャーナリストが、読者からの圧力に抗う勇気を無くしてしまっているのだろうか。これは、まだ2年のNLD新政権とウー・テインセインの5年の任期の間で最も明らかな進展として民衆が認めている報道の自由*をも脅かすことになる考えだ。
 それを防ぐことができるように、ミャンマーのジャーナリストらはバングラデシュ国境とヤカイン州まで行き、取材許可を得られるよう奮闘すべきである。異なる両者の考えを明らかにして自由に異なる意見を持つ権利と、報道の自由を体現していくことが必要である。これができて初めて、民主化への移行をさらに加速していくことができ、報道の自由もより強固なものになる。
テッアウンチョー

*NLD政権下のミャンマーにおける報道の自由については、「進展がない」もしくは「後退している」側面もある。2004年制定の政府を誹謗することが罪に問われる条項を含む電子取引法に加え、2013年制定の電気通信法第66条(D)項による拘束が増え、非合法組織と見做される少数民族武装勢力等の取材では軍による拘束も起きており、ジャーナリストのセキュリティが確保できない問題も指摘されている(2017年12月6日、龍谷大学でのドクター・マ・ティダー「ミャンマーにおける表現の自由」セミナーより)。


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翻訳者:倉橋美希
記事ID:3940