(社説)歴史を描く者が担う大きな責任(2017年12月5日 4)

2017年12月05日付 The Voice 紙
この前の安居の間にアウンサン将軍の伝記映画を撮影して上映するための委員会を宗教文化省が先導して組織したニュースと、1988年8月8日を指す8888民主化運動についての歴史博物館を3年以内に建てるために、ヤンゴン管区政府と88年世代平和オープンソサエティ(訳者注:ミャンマーの市民団体の名称)が準備をしているというニュースは読者の方々もご存じのことと思う。一つ目のニュースについてはミャンマー独立の父アウンサン将軍の歴史を記録するのであり、二つ目についてはミャンマーの歴史においていつも忘れてはならない出来事を歴史博物館として記録していくのである。

 アウンサン将軍の映画を2011年から準備し始めて、2015年の将軍生誕100周年の日に上映するようスタートしたが、11分の予告編のようなものしか上映できず、様々な理由で遅れてしまっていることがわかった。アウンサン将軍の映画は歴史記録に残る類の映画であるから、このように遅れてしまっていることでさえ感謝しなければならない。理由は、そのような映画というものはいい加減な撮影が決してできない映画の類であり、歴史の出来事すべてを反映させるために歴史記録を詳細に時間をかけて撮影することが特に必要とされるためである。
 それだけでなく、歴史記録に残る映画というのは、人の長所ばかりを取り上げ褒めたたえることに力を入れるようなよくある映画ではないことも特に覚えておかなければならない。歴史上の人物一人の有名な部分、つまり、長所だけを称賛して示すべきだというのと同様に、論争となっている部分やその他の欠点も必ず加えてこそ、歴史記録に残る映画となる、と言いたいのである。時間もお金もたくさんつぎ込んで撮影しなければならない映画であるため、またアウンサン将軍はミャンマーの歴史の中で重要な人物であるため、時間をかけることが可能であればあるほど良いのだと言いたい。

 8888民主化運動の件も同様である。現在40歳近い中年層の人々も含め若い人たちのかなり多くは、88年民主化運動の歴史を正確に知らず、その歴史を学ぶとしても、その時代を経験した作家らの一部の本(軍政から今の時代になってはじめて執筆出版の許可が出た)や、年配の人や両親から聞いた話程度しかないのではないか。8888民主化運動の歴史は非常に重大な歴史の一つであり、文学者や他の学者らだけでなく、政府や国軍側も快く歴史の事実を提供し支援する必要があろう。同様に、今日のミャンマーの各大学において、歴史学を学んでいる学生や歴史学科の教授や講師らも、8888民主化運動の歴史をアカデミックな視点から書いてまとめるべきであると促していきたい。さらに、他にも、歴史的な出来事である1996年の学生デモ、2007年のサフラン革命(反政府デモ)などについても、歴史学科の責任者たちが歴史を書き記すことを促していきたい。

 歴史を、一部の人は懐かしい過去の出来事と言い、また一部の人は論争(Argument)だとする。ある人は飲み込んでしまう(訳者注:なかったことにする)ことのできない真実だと言うように、一部の人は心の傷を再び刺激するような出来事としてとらえる。ミャンマーの、そして世界的な歴史学者であるタントゥン博士はかつて、愚か者にならないために歴史を学ばなければならないと注意を促したことがある。どんなに違う見解があっても、どんなに違う政治的価値観であっても、歴史学者や歴史に興味を持つ人は、自分たちの国、社会において実際に遭遇してきた出来事と経験を何世紀にもわたって記録することができるよう、偏ることがないよう書き記していかなければならないということをここで述べたい。


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翻訳者:小池美有
記事ID:4022