(オピニオン)誰が法律を破ったのか(1)(4-9-4-2)

2018年04月21日付 The Voice 紙
ロイター通信記者二人に罠を仕掛け逮捕したと裁判所の証言台で語ったモ―ヤンナイン警視とその家族に対して、関係当局が法的措置を取るべく動いた件への反応を見れば、ミャンマー国民は、正義を尊重し、真実を勇敢にも明らかにする人に敬意を表し、激励するという心根があることが鮮明に見えた。
 当初から、核心の問題への対処法がずれている、と批判を受けていたロイター通信記者問題に、今になってモ―ヤンナイン警視に対する警察組織の起訴が加わり、当初の問題が更に複雑になったと言わねばならないだろう。
 警視の地位に立つ人でも、警察庁長官の地位に立つ人でも、罪を犯したり法を破ったりすれば法律に従って訴えることができるが、そのように起訴する側もみな法律を遵守する必要がある。自身が生来法律を遵守せず、法を利用して罪のない人を処罰するというなら、自身が法を破ることになってしまうだろう。
 ミャンマー社会は、周知のとおり、過去に法律を思い通りに利用した悪弊がはびこるという苦い経験をしており、悪弊から未だ解放されない組織と関わると、好意的に解釈する気が失せ、疑念をもって見ることが多い。
 今日、ミャンマー警察組織の起訴に対する国民の反応を見ればわかる。警察組織の誰かが、もともと警察の責務を懸命に成し遂げてきた、任務や国民に対して誠実で、正義の側に立つならば、国民皆が絶え間なく応援し続けるのである。
不正、不誠実な行い、他者を抑圧したり困難を与える、窮地に追い込むといった行為は、皆反対し非難する。それは、文化的なすべての社会で普遍のことであり、人として優れた者の信念である。
関係当局であるミャンマー警察として、本件の関係者である警視モーヤンナインを拘束した件を仔細に調査すれば、その件は法に背いているのか、いないのかという問いが出てくるのではないか。そんな中、彼が裁判所で正しいと思ったことを述べるや否やその家族を口頭命令により警察宿舎から即座に追放したということは、思いやりにひどく欠け、倫理と品位に欠くこと、甚だしい。
本来、、悪弊のもとでさまざまな事情のために国民の不満と向き合ってきたひとつの組織として、国民の信用を再び得られるよう努力せねばならないにも拘らず、今のような行為によって国民の考えは間違っていないという証拠を示すようなことになってしまったと気付くべきである。


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翻訳者:田守彩香・田中千帆
記事ID:4267