(社説)理系科目の教授法と何が重要で何が重要でないか(6-15-4-1)

2018年06月15日付 The Voice 紙
 国家教育方針審議会は基礎教育高校理系科目の授業で専門用語を除いて、解説全てをビルマ(ミャンマー)語で行うべきだという案を提出したが、6月12日連邦議会会議では賛成反対の両方の意見が出た。
 賛成者は、現在のミャンマーの高校教育制度は理系科目を英語で教えているにも関わらず、英語が上達している訳ではないこと、そして言葉を暗記し丸暗記方式で解答しているため理系科目の理解が深まっている訳ではないのでビルマ語で教えるべきだと主張した。
 英語で引き続き教授すべきだという意見の人々は、学生たちが勉強についていけないのは、教師たちの学問分野に関する知識や、指導要領への理解が不足していることによるものなので、この弱点を補うために審議会として考えていかなければならないとの見解を示した。
 実際、ミャンマーの高等学校教育を含む教育全般が、歴代の政権の方針の試験対象となったところがあり、英語からビルマ語へ、ビルマ語から英語へ変更され、学生たちは「実験台として巻き添えをくらう者」となってしまった。
 ビルマ語で教えるとしても、高校どころか大学レベルですらビルマ語を正書法、文法、用語など、正しく話したり書いたりする人間が徐々に減少している今日、加えて理系科目を確実に理解して習得するのは容易だろうかという疑問も生じる。
 様々な科目を教える目的・目標は、学生たちに関連する科目それぞれを基本から理念と一緒に理解させることだと言うことができる。そうだとすると、科目を教える言語は媒介としての性質があるといわなければならない。媒介は、英語であれビルマ語であれ、重要な目標にふさわしいように選ばれなければならないのである。
 しかし、他方で世界の共通言語となりつつある英語も上達させるように別途引き上げる必要がある。現在ミャンマーの教育制度は、教育の媒介、つまり月並みな問題に重きを置き、科目理解の向上という、より重要な問題を軽視しているところがある。
 また、学生たちにどちらの言語で教えるにせよ、教える側の教師の能力や熟練度が備わらなくては目標を達成することができるはずがない。そのため、議会における賛成・反対派の見解のうち、どちらが完全に正しい、完全に間違いだと言うことはできない。
 理系科目の性質は、実際の発明や実験などの活動と関わっている。そのため、高等学校レベルだけじゃなく教育全般の理系科目教授全てにおいて、いかなる実験や用具を用い、理論と実地のバランスよく教えるか、教える側の教師の能力をいかに高めるのかという点に一層重きを置いて考えるべきだと特に強調し述べたい点である。


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翻訳者:伊藤亜由美
記事ID:4437