(社説)政府自身が見本となるように(12月11日)

2018年12月11日付 The Voice 紙
1948年1月4日に独立を果たしたミャンマーは、その年に国連が採択した世界人権宣言に初めて支持して署名し、今年で70年になる。
その世界人権宣言を採択した1948年12月10日が国際人権デーとして規定されたため、ミャンマーは人権に関して、初期のころから先頭に立って参加した国家だといえる。
その点が、世界人権デー70周年記念式典において、大統領が送った祝辞で言及されており、人権、民主主義、法の支配が相互につながりあっていることを特に明らかにした。
偶然にも今日12月11日は国連の第3代事務総長として任務を担ったミャンマー人、ウー・タンの事件(訳者注1)が起こってから44回年目の日である。
 国連の事務総長という地位と役割が非常に大きいほかに、鋭い知恵を持ち、中立的で外交経験が豊富であり、寛大な心で、理性的、多くの人の尊敬を集める人といった人格に合う人が選ばれるので、ミャンマー人の一人がその役職に選ばれたことは大変誇りに思う。
 1945年に国連が設立されて3年が過ぎた時に58番目の加盟国となったミャンマーは、通常10年間で1度選ばれる事務総長の役職において、1961年から1971年までミャンマー人のウー・タンが担ったので世界各国から尊敬を受けてきた。
 それとともに、人権、民主主義、平和関連活動も率先して参加した。その当時、アメリカとソ連の2国間で冷戦の時代だったため、両国の陣営のどちらにもつかない非同盟諸国を ウー・ヌ首相が率先して動いていたことは、もっとも知られている証拠である。
 独裁政治がはじまった1962年以降、当時あったミャンマーの品位が次第に減少し、現在では世界の最貧国、人権侵害最多の世界のリストに含まれていることはきわめて残念だ。
 実際、人権といえば、意味を再解釈する必要がないものだが、今日世界のさまざまな所で人権が侵害されることが非常に多いので、何度も叙述して注意を与えることが必要である。
 大統領の祝辞において、人権に関して正確に意味定義を加えてあり、ほかの人の自由な権利を奪わない基本的権利としても加えることがわかった
 特にミャンマー国内において人権の基準が高く発展してくるようできる限り努めていることについて、国民人権委員会の活動分野をとくに重視すると(訳者注:大統領が祝辞で)言及し、政府、民間組織、メディアと国民が協同することを奨励していることを認めなければならない。
 しかしそのほかの面において、政府自身と与党自身、政府組織内部、政党内部のみならず、それらに直接関係しているすべての組織に、民主主義の名のもとにある人権、法の支配、平和活動、それらにふさわしい考え、話し方、行動を実際に見せることで多くの人が快く協力しておこなうことができるということをアドバイスしたい。
編集者(2018年12月10日)

訳者注1:ウー・タンは日本ではウー・タント(英語表記U Thant)として知られていることが多いが、ビルマ語の発音ではウー・タン。ウー・タンが病気で亡くなりアメリカからミャンマーに遺体が戻ってきた際、国連事務総長まで務めたにもかかわらずきちんと埋葬しようとしなかった政府に対して抗議行動が起こり、ヤンゴンの空港に到着した遺体をヤンゴン大学の学生たちが奪い取るという事件が発生した。


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翻訳者:黒臼重美
記事ID:4664