(社説)#Me Tooがそもそも増えぬよう(7-67-4-1)

2019年06月28日付 The Voice 紙
2019年6月28日

 アメリカでドナルド・トランプ氏が大統領になる以前から、所行を暴露し非難する女性たちが頻繁に出てきており、その多くがトランプ氏のセクシャルハラスメントを告白していることが、国際ニュース経由で読者の知るところとなっていると思う。売名の故意な非難か、それとも疑惑通り本当に起こったのかは当人たちだけが知っているのだろう。

 同様に、ハリウッド映画業界のある著名な男性監督の過去の暗示的なセクシャルハラスメントをある女優が告発したところ、その後で他の女優たちも同監督にハラスメントを受けたと“#MeToo”というハッシュタグ付きの言葉でSNSを通じて告発したことも知っての通りだと思う。

 「私たちも同じです」という意味の“#MeToo”は、ハリウッドを超えてアジアまで拡大してきており、著名人や権力者、政府高官、経営者、上司(資産家だけでなく権威ある人物を意味する)の見えにくいセクシャルハラスメントが、空の瓢箪水筒が水面に浮き上るかのように表面化してきた。

 それについて、ハリウッド女優に感謝すべきである一方で、SNSにも感謝すべきだと言わねばならない。なぜならハラスメントを犯しうる立場の人間、もしくはその思惑を持つ者が、それを行うと不名誉の誹りを免れなくなるということに警告を発したようになったからだ。

 ミャンマーの社会において、#MeTooのような「私たちも同じだ」というような意味で告白しようとする人は何人に上るか誰にもわからない。しかし、性的暴行の被害を受けた出演者の女優が女優生命を維持し出演し続けることが出来なくなる映画が横行してきた中で、性的な問題に関してはオープンな議論が少ない社会であるところ、人知れぬ#Me Tooがたくさん存在しうることは確実だ。

 ミャンマー人の大多数が仏教を信仰し、仏陀を師としていることはその通りだが、仏陀の導きや教えよりも仏教徒たちが自分で作り出した仏教文化により影響を受けているのは周知のとおりだ。仏陀は、性的暴行侮辱を避け、性的指向の異なる人々に慈愛の気持ちを持つようにとだけ教えられていることがわかるだろう。

 [すなわち]暗示的であれ直接的であれ、身体的な暴力と言葉の暴力を行わないよう禁じたのである。なぜなら、罪になる(言い換えれば律に背く)というのは、身体と言葉でのみ犯すことが可能となるからである。口や文章による(SNSでコメントを書くことも含めて)中傷も罪になるし、身体による侮辱も罪になるということを意味する。

 一般に多くの人々がミャンマー社会を、仏教文化の発展した文化的で品位のある社会であると受けとめている。性に関しても、罪を恥じ罪を恐れる教えが浸透しそれに恭順な人々がいる国だと見做されてきた。しかし、現代では異性についてだけでなく、自らと性的指向の異なる人々に対する言葉と身体の両方による攻撃や侮辱が徐々に見られるようになって来たことは、極めて恥ずべきことであり、文化的に高尚なミャンマー社会を築こうと望む者皆が、下品さ・粗暴さを注意深く排除・撃退しなければならないと、申し上げたいのである。(編集者 2019年6月27日)


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翻訳者:笹森 奎穂
記事ID:4894