(パースペクティブ)海外メディアとミャンマー(2)

2019年06月20日付 The Voice 紙
筆者が若い頃聞いていた海外放送局のミャンマーセクションの中には、BBC(英国放送協会)やVOA(ボイス・オブ・アメリカ)も含まれる。BBCのアナウンサーであるウー・ティンマウンをよく覚えている。番組の中の「質問と答え」のコーナーを覚えている。VOAの英会話講座を聞いていた。12歳、6年生というと英語はある程度勉強していた。(地方の公立高校生だったので5年生から英語を学び始めたのだ)。VOAの講座を真似して英語っぽい発音で、「ジョンはメアリーに、あなたの名前はなんですかと聞きました」と復唱したものだ。その後ミャンマーで海外放送局が流行したのは、1988年の8888民主化運動の時である。ビルマ社会主義計画党(BSPP)政権による国営新聞、国営ラジオ・テレビは政府の一方的なニュースのみを流したため、国民は信用せず、BBCとVOAだけを聴いたのである。ミャンマーでは1988年より前から、電池式のトランジスタラジオがタイから闇ルートで入って来ていた。トランジスタラジオは田舎にまで広がっていたのだ。はじめは国営ラジオだけを聴いていたが、8888民主化運動の頃にはBBCとVOAのみを聴いていた。(電池式トランジスタラジオはミャンマーで1965-66年ごろから使われるようになったと推測される。バケッ同志の自伝「バケッ」には、1968年にバゴー山脈のある場所で彼をビルマ共産党本部が拘束した時、国営ラジオが放送したジャータカ(仏教説話集)に出てくるジャナカ王子と女神マニメーカラーの会話の場面を聴き、逃げることを決めたと書かれている。山の中なので電池式ラジオしかなかったに違いない。)

その後、国家法秩序回復評議会(SLORC)および国家平和発展評議会(SPDC)による軍事政権時代の22年間全てを通じ、BBC、VOAと政権は敵対していた。国民にとって頼りはBBCとVOAだけであった。軍事政権も、BBCとVOAはなんだかんだといって(批判した)本を出したが、国民がその本を買って読むことはなく、買ったのは政権の身内だけであった。軍事政権にとっては、1997年頃にRFA(ラジオ・フリー・アジア)という敵がまた増えた。筆者が知る限りでは、VOAはアメリカ下院議会の見解、RFAは上院の声である。BBCはイギリス政府の助成を受けていた。BBC、VOA、RFAは他の言語でも放送している。

軍事政権時代の後半、情報大臣が「メディアにはメディアで対抗する」と豪語し、一部の民間ジャーナル(週刊の新聞)に発行を許可した。彼らがメディアをメディアで攻撃しようと何で攻撃しようと、(目的はどうであれ)ミャンマーの読者たちにとっては型にはまった国営新聞以外からも情報が得られるようになった。政府の検閲局に原稿を前もって提出し、検閲で指摘された部分を削除訂正してから発行しなければならなかった。2011年に民主化され、連邦団結発展協会(USDA)政権になり、2012年8月に検閲制度を廃止すると、ミャンマーで報道の自由が一定程度得られるようになった。2013年4月1日から、民間紙の発行が許可された。

2015年の選挙で国民民主連盟(NLD)が勝利し、2016年に選挙で選ばれたNLD政権となった。2016年、2017年、2018年はラカイン州北部で問題が起きた。するとBBCやVOA、RFAがNLD政権を批判、非難するようになった。そうなのだ。これらの放送局はその局を開設した監督機関の意向のみを述べなければならない。8888民主化運動の頃はミャンマー国民の側に立ち、今はミャンマー国民に選ばれた政府をラカイン州北部の問題のために批判する。筆者が若い頃、「犬のマーク」というレコード(訳者注:日本ビクターなどのトレードマークとして有名なもの)があった。レコードプレイヤーの前に犬が座って耳を傾けている絵で、その下に“His Master’s Voice”と書かれている。今も海外放送局のミャンマーセクションは、その主人の声に従うだけである。ミャンマーの2008年憲法に基づいて選出された政府が国防省・内務省・国境省での決定権がないことを知らないのだろうか。


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翻訳者:笹森 奎穂
記事ID:4921