(社説)善き心のもちようを築き上げよう

2020年05月18日付 The Voice 紙
17-May-2020

この数ヶ月の間、どのメディア、新聞、ニュースでも新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する情報や新型コロナウイルス時代に関するものの多くが、独占している様子ばかりを目にする。本紙(The Voice Daily) でも新型コロナウイルスに関する内容がページの大半を占めている。

4月中、出版物の印刷と配布が停止していて、5月になり新聞が再び出版できるようになって以来、トップニュースでも新型コロナウイルス(COVID)によって起こった困難な問題ばかりを議論してきた。したがって、今日ばかりは、他の問題を議論したい。心の持ちように関係することである。一人一人の人間が善い心を持つということは、どんな時代、どんな時であっても社会に利益をもたらすだろうと信じており、ここで論じたい。ミャンマー人たち、特に仏教徒たちは「善い心を持つことそれが一番である」というタウンミョのマハーガンダーヨン高僧の教えをいつも見聞きしている。その教えはどれだけ学問に優れていても、どれだけ困難な瞑想修行に励んでも、善い心を持たなければ、自分の利益にも社会全体の利益にもなるはずがないということを警告している。

そして善い心というものは、仏教徒であれ、他宗教の信者であれ、誰であれ、持つことができるものといっても間違いではない。その他様々な宗教の教えを見ても、社会の利益になること、換言すれば、善い心を持つよう教え諭したものばかりだとわかるだろう。。

そして善い心を持つということは、どんな肌の色をしていようが、どんな宗教を信仰していようが、全ての人間に関係がある事だと言っておかなければならない。お互いを思いやる気持ち、かばい合う気持ち、慈しむみ合う気持ちなどというのは宗教による教えという枠組みとは関係ない。善い心を持つか否かだけの問題なのだ。

そのとおり。世界の歴史を見ても、どれだけ優れた指導者であれ心の持ちようが良くなければ何千人、何万人、何百万人と人々を殺める状況に至ったではないか。そして、民主主義のチャンピオンであっても愛国心を持つ権力者であっても善い心があって初めて美しい未来が開けるということもわかるだろう。

そして「善い心を持つ」という言葉は、自分自身の利益のみならず、自分の周りにいる家族、友人、同僚、そして自分が関わる社会全体の利益を求める気持ちを指すのである

あらゆるものは心のもちようが運んでいくということを皆知っている。ある人物の仕草や言葉、行いを見ればそうしたもの全ての源はその人の心の持ちようであるということは、取り立てて話す必要さえなかろう。そうした理由で西洋諸国の人々は「あなたの心の持ちようや考えに気を付けなさい(Beware of your mind and thoughts)」といってよく警告するのだ。

精神的ストレスや試練で溢れている今日の時代、善い心を育んで初めて、互いの口喧嘩や、果てには殺人といったとんでもない悪事にまで至ることを避けることができる。車を運転する時も、一台一台の車が思いやりを持って場所や道を譲るなどして、自分自身の気配りを見せられるのではないか。自分自身が何を得るのかということより自分自身が何を与えられるかと、常に心にとどめおいて暮らすことも、善い心を持つ良い兆候の一つである。

ただ、一つ問題がある。善い心というのは何もないところから現れ出たものではない。自分がそれを育て、律してこそ、自分自身の内側に身につけることができるものなのだ。注意を払い善い心を殺さぬよう、絶えず気を配り、見守ってようやく育まれるものである。人というのは、善い心を持つ人(性格の良い人)と出会いたいものなのだす。人格者でさえ、素晴らしい人物、尊い人物と出会うこが出来ますようにと願っているではないか。ここで深く考えるべきは、善い心を持つ人と会うこと以上に、自分自身が善い心を持つ人間かどうかを、まずは自分の心のなかで確かめてみるべきであるということなのだ。


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翻訳者:田中皓也
記事ID:5238