(社説)ミャンマーにとって幸運という土産

2020年05月29日付 The Voice 紙
2020年5月29日

「仕事が良ければ運が上向く」という言葉を、業と業のご利益を信じるミャンマー人はたくさん見聞きしたことがあるだろう。かつて、出家、在家を含む多くの人から尊敬されていたある企業経営者が、自身の友人らと社員のために教訓として残したものだとも記録されている。一部の店や職場でその格言を印刷して、壁などに貼ったり吊るしたりしているものも見かけるだろう。

その理念は「心構えが良ければ、運が上向く」という言葉とほぼ同じである。心構えを運と言うような表現がたくさんあるのではないか。処世訓(ローカニヤーマ)にも書いてあるように、業とそれによる結果が意図するところとして、良い心構えをもてば人生が良くなるように、心構えが悪ければ、悪い仕返しを受けることになり、人生に心構えが反映したり、益をもたらす、という考え方についてはここでわざわざ説明しなくてもよいだろう。

現在、ミャンマー社会の一人ひとりや、コミュニティ、組織全体がそれぞれ直面している状況と出来事は上記の心構えと行いに基づいて考えると、運、不運は現在や過去における心構えと上記の心構えのために起こった業(運)の結果なのだ。

新型コロナウイルス感染拡大の状況を他国と比較してみると、感染が生じたことは幸運とはいえないが、不運という程ではない。国民一人ひとり、組織それぞれが逆境時、寛容に寄付をして善を尽くすことや、互いを守ること、感染が確定した患者との接触者を協力して探すこと、保健省と共に協力して取り組んできたことなどは幸運であるための重要な要素であるといっても過言ではない。

今後訪れるであろう新しい日々(New Normal)に、またもうじきやってくる選挙の後の政治、経済、社会、宗教などの分野で、一層運がよくなるのか、悪くなってしまうのかということは、その分野における関係者の心構えに基づくというものだ。

ミャンマーはこの50年間以上、権力や権威、財力、奢侈に関して、一部の人間の悪い心構えのため、大多数の人々(そして多くの世代)の人生が、犠牲とされたのであり、その歴史から、心構えと行いの関係を教訓として、今後、幸運な国を築くため、尽力しようではないかと皆さんにお願いしたいものである。
編集者(2020年5月28日)


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翻訳者:竹淵優衣
記事ID:5282