(社説)民主主義の象徴が生まれた日の祈願、民主主義という遺産への希求

2020年06月19日付 The Voice 紙
今日、6月19日は国家顧問であり民主化の指導者でもあるアウンサンスーチー氏の75歳の誕生日である。誕生日当日の4、5日ほど前から記念として、同氏の姿を肖像画に描いたり、祝辞を贈ったりといった活動を、彼女を敬愛する国民が行っているということに気づかされる。

昨年も社説において幸福を願う祝辞を述べた。今年もまた同様にしたいと思う。「このめでたき誕生日に、心身共に健康で、引き続き民主主義国家の設立に尽力なさいますよう願っております」

一新聞として一国の指導者の誕生日を祝うというのは、悪く言えば権力になびいているという見方も出来るかもしれない。しかしどう言おうと、上記の祝辞は、アウンサンスーチー氏がミャンマーという国とその国民のために、民主主義を含めた様々な優れた制度を確立すべく尽力出来る人物であるということを信じて疑わないからというただそれだけなのである。国家のためを思って民主主義という遺産を政府に対し要求していると言うことも出来るだろう。

民主主義の樹立は、国民一人一人の責務やその自覚に多くを依っているのは事実だが、あえてこのように民主主義の遺産という表現を用いるのは、現政府には民主主義に関する優れた諸制度、原則などが十分に遺るよう取り組んでもらいたいからだ。

しかしアウンサンスーチー氏の誕生日であっても、パレッワ地域を含むチン州、カチン州、シャン州、そしてラカイン州では毛布一枚を家屋のように屋根にして避難生活をしなければならない国内の避難民たちがいる。彼ら避難民は、アウンサンスーチー氏が国内の平和をいち早く実現してくれるよう願っているし、一般の国民、とりわけ低所得者層の人々であれば、物価がこれ以上上昇することがないよう願っているだろう。

自らが直面している困難や置かれている状況によってスーチー氏の誕生日を祝う思いは、いかようにも変わってくるだろうが、民主化の指導者と民主政府に期待をしているという点においては同意見であろう。

アウンサンスーチー氏が述べた記念のメッセージの中で、国家建設に関して、忘れずに記憶しておくべきことは「自分が何を得られるかということよりもむしろ自分の側から何ができるかということを考えてほしい」という言葉だ。家族の絆をはじめとした社会との関わりの領域だけでなく、宗教上の領域にいたるまで良い結果をもたらすような、啓発的な言葉であると言っても間違いということはないだろう。

そうであっても国民と統治機関の関係、言い換えれば指導者とそれに付き従う人々の関係において、統治者たる指導者の側から働きかけなければ得られないものもあるように、むしろ追従者たる国民の側から働きかけなければ得られないような性質を持ったものもある。特に心に留めておかなければならないのは後者だろう。

76歳になろうとしている国の指導者アウンサンスーチー氏への誕生日の贈り物は何が相応しいかというならば、独裁者に抵抗し、弾圧や不公平を嫌う国民たちの期待と慈愛だけだと言っていいだろう。

そのためにこの機会を借りて、誕生日を迎えるスーチー氏と同氏が指導する民主政府の側から働きかけによって為されうるような事柄が最善の形で実行されるよう、また国民の側からも国の民主主義改革の移行プロセスが洗練されたものとなるよう協力し助け合うことで、民主主義の確立が最善の形で進むことを強く望んでいることをはっきりと示すことが重要であるということをここに述べておきたい。


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翻訳者:山本哲史
記事ID:5358