11月22日付Voice社説  自分の間違いに責任をもってはじめてミャンマー人にふさわしい

2020年11月22日付 The Voice 紙
ある日ベイ市で新型コロナ感染症陽性の患者を迎えに行く社会福祉活動家らの救急車とオートバイ一台が道で衝突してしまい、オートバイの運転手が死亡してしまったことがわかった。オートバイ運転手の葬儀で揃って膝をついて謝る社会福祉活動家らの写真はソーシャルメディア上でかなりたくさんシェアされた。

オートバイの事故のせいで、オートバイが自動車に衝突されたから、などの理由で亡くなってしまった人はミャンマーには多く存在するが、その事故で亡くなってしまったオートバイ運転手の葬儀で社会福祉活動家らが膝をついて謝る光景はミャンマー社会としては珍しい光景の一つであると言える。何故かというと自分もしくは組織のせいで発生した過ちのようなものを今回のように人前で膝をついて謝ることまでするということは、この社会では極めて稀にしか見られないことであるからだ。

コロナ陽性患者を迎えに行く道中、言い換えると救命のために向かう道中で、他の人一人を死なせてしまうというようなことをきくことは本当に胸が痛い。人間、いい結果を望む人は誰であれそのようなことには遭遇したいはずがない。

しかし事故で人が亡くなってしまったことは自分たちと関係ないとは言えないという責任の自覚(を感じる心)が、今回のように大勢の前で膝をついて謝るように促すことにつながったのはすばらしいことだと認めるにふさわしい。責任を感じる心は尊敬に値する。人としてふさわしい行動ともいえると思う。 

実際に文化的な社会というものは、今回のように自分の過ちに責任を持つことに負担を感じない人や組織のあるような国家を言うのだ。

指導者的立場にいる人からそれに従う立場にいる人まで、最上部から最底辺まで自分の間違いを間違いと知り、謝ることができる習性があることではじめて立派な国、社会を作ることができる。

「死んだ像をヤギの皮で(訳者注:大きな問題を適当な弁解をして隠そうとすること)」と言おうが「ばかのふりをするな」と言おうが、重要なことは自分の間違い、自分の組織の間違いを知らないふりをせずに人としてふさわしく謝ることができること、そして間違いをただすことができるように努力することだ。

間違える分にはたくさん間違えても大丈夫だ。しかし自分の間違いに勇気をもって責任をとってはじめてミャンマー人としてふさわしいと言いたい。

編集者(2020年11月21日)


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翻訳者:府中英里奈
記事ID:5598