(社説)ミャンマー知識人の「力」(Vol.8/No.154, 2020年12月2日)

2020年12月02日付 The Voice 紙
 ヤンゴン大学創立100周年の日、昔の大学に関する音声記録、ビデオ、写真などが見られ、非常に喜ばしい。同時に、ヤンゴン大学から輩出された知識人の「力」を国家の建設、発展、繁栄の面でどのくらいの範囲まで活用してきたか、どれだけ活用できるかも興味深い。
 ミャンマー国内で体制の変化が始まった2011年以前までは、それぞれの分野の知識人風の人物が流れを途切れさせたが、今日、政治、経済、教育、保健をはじめとした国家にとって重要な分野を率いることができ、また、指摘、批判ができる人が再び現れてきたことは改革の成果ということができる。
 今日、印刷メディアとオンラインメディアそれぞれのページと投稿において、また、ライブ配信において、関係する知識人に会って質問するコーナーや、討論会、フォーラム、ディベートなどが見られるようになったことは、プラスの変化の一つである。
 しかし、関連する分野に専門家のように熟練しよく知っている、十分な人数の知識人を確保できているかと問えば、まだ確保できていない、と真面目に答えなければならない。
 SNSの時代の中、民主主義を実践する国であるので、SNS上で、様々な方法、様々な戦略で、国内だけではなく、国外でも知名度、人気、「いいね」を得るため人々は自由に努力できる。しかし、1962年以前の、世界で知られるくらい輝きを放ってきたミャンマーの知識人はいないといっていいほどまだ少ないと言わざるを得ない。
 現在の新世代の人々は、以前の閉鎖的な時代より、英語ができるようになり、勉強して習得するための機会が増えたので、以前の時代の人々より能力的に優れてきたのは嬉しいことである。しかし、(独裁)権力者の時代が長期間続き過ぎた結果、世界レベルでも、アジア地域レベルでも著名な知識人はミャンマーからまだ現れていない。
 知識人が増えるとどうなるのか?と問えば、国家と国民が時代に遅れて取り残されることがもうないと答えることができる。ミャンマーが時代に遅れている大きな理由の一つは、知識人のような人がほぼいなかったためである。言い換えるならば、ミャンマー国内の統治者、権力者の指示に従うだけの、知識人のふりをした者たちのみがいたため、ということである。国家の発展、国家の建設のために働くことを望む知識人がいなかったこと、または、地位を得られなかったともいうことができると思う。
 重要なことは、国家と国民のため重要な決定を下す場にいる全ての人物が、専門家、知識人である必要はないが、そうした人々を支える人々と、専門知識の分野に関して主に支えられる人の中に、知識人が必ず含まれる必要があり、知識人を生かせるよう活用することが必要だということを、ここで述べたい。
                     編集者(2020年12月1日)


同じジャンルの記事を見る


翻訳者:黒澤 有希
記事ID:5636