(社説)新型コロナウイルス感染症問題は人々の責任か、政府の責任か(Vol.8/No.160 2020年12月9日)

2020年12月09日付 The Voice 紙
国内で新型コロナウイルスへの感染が未だ減らないことに関して、国民と政府の間で互いに指を差し合って責任の擦り合いの渦中にいることにふと気が付いた。

そこでは、国民の協力がなく感染が増えてきたという非難と政府側が規則に従わず出歩いている人を法律で徹底して取り締まることがなく感染が増えてきたという非難や批判があった。

きちんと検討してみると両者間違っていると言うことは出来ないというのが確実である。理由は、国民一人一人新型コロナウイルスの対策に徹底して従っているなら、あるいは規則に従わない人を政府当局が徹底して監視することが出来るなら、効果的な感染症の抑制を確実に実現させることが出来るからである。

しかし両者がするべきことよりもしたいこととさせたいことにばかり集中している限り、両者の同じ望みである毎日の感染者数がゼロになることとNew Normalにより全ての職場が再開出来ることというのは実際のところ可能性はない。

東南アジア(ASEAN)諸国で最も貧しいレベルになっている国としては、ウイルスに感染した患者に数十万チャットの費用を負担して、たとえどんなに費用を負担して治療しているとしても監督すべきことを徹底して出来ないなら、砂漠の中で耕作をするために努力しているようなものであるだろう。

最悪の場合、発令する全ての規則がどうにも有用ではないチケットのようになり、多くの人は規則に従わず、自分も従うことは必要ないという「皆と同じことをする」というロジックが国民の考えに及んでくる。

貧しい人を徹底して支援すること、国家経済の主要な動力である月給取りの職員が失業する危険を逃れるよう経営者を支援することなどは、すべきことであるのは正しい。しかし皆の経験から最も確実なことは、政府の能力に関して多く望まず、一人一人距離をとること、マスクをすること、手をこまめに洗うこと、免疫力を高めるように自分自身を守ることだけが最も良い務めであると言いたい。

編集者(2020年12月8日)


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翻訳者:林美里
記事ID:5653