密告者の殺害、地区住民16人に対し軍評議会が死刑判決

2021年07月05日付 その他 - ミャンマーナウ 紙
本当の犯人を捕まえることができずに手近な地区住民を容疑者にした、と地元住民の一部は見ている

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戒厳令が敷かれているヤンゴンの北オッカラーパ区において、情報提供者(ダラン[密告者])であるという家族が殺害された事件で、地区住民16人に対し、軍評議会が6月21日に死刑判決を下したと地元民の一部が話した。

密告者であるとして非難されていたのは、北オッカラーパ区シュエパウカンミョウティッ11地区に住む40歳過ぎのウー・セインモーとその二人の息子、24歳のコー・アウンモーへインと19歳のティンカンモーへインであり、3月15日夜、住居において、刃物で刺殺され死亡した。

その家族の死後数日で、軍評議会は地区に住む7家族から、男性6人と女性2人を逮捕し、残りの9人に逮捕状を発行した。

軍事法廷による2か月半の審理の後、逮捕された8人と逮捕状が出されている9人の合計16人に対し、殺人に関する刑法第302条(1)(b)項/ 34/436号に基づいて死刑判決を宣告し、残り1人に対しては、刑法第201/109条に基づいて7年の刑を言い渡した。

軍評議会の6月23日付プロパガンダ新聞によると、死刑宣告を受けたうちの男性9人はまだ逮捕されていないとのことだ。

「本当の犯人が逮捕できない中で、彼と以前いざこざがあった者が、連行され犯人に仕立てられた」と死刑判決を受けた一人の家族はミャンマーナウに話した。

フラインターヤー区から移り住み、「愚か者」と地区内で呼ばれたウー・セインモーは、事件が起きる前に地区住民の一部と喧嘩になったことがあると地元住民の一人は話した。

しかしウー・セインモーの自宅に刃物をもって侵入した者は、軍評議会が告発したような、地区内の人間ではなく、事件当日外部から車で乗りこんできたと、彼は付け加えた。

「その喧嘩の後、3週間くらいして、ハイジェットの車に乗った人が地区に侵入し、その人間(ウー・セインモー)の家の様子を窺っていた。約2日後、その車がまた来て、その家に侵入して、刃物で刺した。それが終わると刃物を車に載せて、そのまま走り去った」とその地区住民は述べた。

ウー・セインモーの死亡に関して、彼は地区の密告者として有名で、それが理由で殺害されたと軍評議会が発表しており、それについてミャンマーナウは彼の妻にコメントを求めようとしているがまだ連絡はついていない。

軍事法廷の判決は、宣告後15日以内に控訴することができ、そのための準備をしていると死刑判決を受けた家族の一部は話した。

ラジオ・フリー・アジア(RFA)は、6月24日までに、2月1日のクーデター以来戒厳令が出されたヤンゴン管区の6つの区で64人が死刑判決を受けたと、政治囚支援協会(AAPP)と共同でまとめたリストをもとに報じている。

そのリストによると、北オッパラーパ1区だけで、軍事法廷によって死刑判決を受けた人数は36人に上っており最も多い。ヤンゴンでは、フラインターヤー、シュエピーダー、北オッカラーパ、北ダゴン、南ダゴン、ダゴンセイッカンの区に、3月中旬以後、戒厳令が発令されている。

AAPPの6月26日付のリストによると、軍事評議会によって不在のまま死刑判決を言い渡されている人は40人に上る。

ミャンマーナウ 2021/6/28


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翻訳者:ビルマ語メディア翻訳班(HM)
記事ID:6049