恨みによる殺害

2021年07月21日付 その他 - ミャンマー・ハープ・メディア 紙

恨みによる殺害

2019年12月、中国武漢市において、あるウィルスが急速に広まり、多くの人が感染して呼吸器疾患を発症し亡くなった。後に新型コロナウィルスCOVID19と命名され知れ渡ることになるこのウィルスが蔓延した時、中国政府は手の打ちようがなく抑え込むことができずに、武漢で感染爆発が起き、多数の死者を出した。その写真やニュースがソーシャルネットワーク上で見られるようになると、諸外国にも伝染することが危惧されるようになった。ミャンマーは中国の隣国であるだけでなく、発展途上の貧しい国であるため、感染力の強い新型コロナウィルスが急速に広まったたとき、武漢の人々のように路上で倒れ息絶える事態、病院での病床の不足、医療従事者も不足して治療が提供できず、患者ともども感染して亡くなる、病院の傍で倒れて死ぬ、家庭内でも全員が感染して一家全滅するなど、危機的状況に至るのではないかと危惧された。

その当時ミャンマーは国民民主連盟(NLD)が政権を担っており、多方面で予防措置を講じ、管理していただけでなく、空港の出入国、国境の出入りも保健省が検問を行い監視していた。中国から世界の国々に徐々に感染が広がって行った時、東南アジア諸国の中で、タイ、シンガポール、ベトナム、マレーシア、フィリピンなどに広がり、その後かなりして[ミャンマーで]2020年3月第2週に外国から来た旅行者の1人に新型コロナウィルスが初めて確認された。当時、1人、2人と見つかっただけでも極度に恐れ、ウィルスがミャンマーに入ったとして、武漢のように猛威を振るうのではと恐れ、食糧の買い占めなども起きた。

マスク、手洗い石鹸、ハンドジェルなどの価格も高騰した。しかしすぐに民衆の指導者国家顧問のドー・アウンサンスーチーが国民に、わかりやすく語り掛け、国民もそれを受け入れ、協力したので、パニックによる衝動買いをしなくなり、価格の上昇を商機にしようする者も全くおらず、医療専門家、経済の専門家、識者、技術者、公務員と基層労働者も含め、全国民が団結して立ち向かい、死者も少数にとどめ、克服することができた。

2020年7月、コロナ感染症の第2波が起きた。感染者が急増したが、経験に基づき、制御できるよう政府が手際よく管理し、国民と協力したため、抑制することができた。それだけでなく、新型コロナウィルスは、地球上に存在し続けるので、それを予防して生活するスタイルを国民がわかるように啓蒙した。さらに、政府と非政府の救援チーム、慈善団体や寄進者が力を合わせて、必要な酸素を供給できるよう、技術を駆使して計画した。病院では、酸素が必要な場合、酸素ボンベをマンパワーでは運べない、というのも1日に病人1人につき4本から5本運び入れる必要があるからである。その負担が軽減できるよう、病人のベッドのそばに必要ならいつでも掛けてあるパイプ経由で酸素が使用できるよう、酸素工場の建設を計画し、コロナ基金を設立した。

コロナの第2波が起きた時、責任者の一人が作成したリストによれば、北オッカラーパの感染症病院、ヤンギン小児科病院、マンダレー総合病院とタウンジーサッサットゥン病院で、酸素プラントがあり、酸素ボンベもあって、ヤンゴンでは、3000台の酸素濃縮器、集中治療室設置用人工呼吸器も500近くあったことがわかる。またヤンゴンでは40リットル入りのボンベも9000本近くあるとされる。患者にずっと酸素を供給する酸素濃縮器が郡区ごとに平均10くらいはあり、人口呼吸器も、郡区の病院ごとに設置されていた。これらは国民が選出した民主政府が、その後に備え事前に準備したものである。第3波が起きるかどうかわからないうちから、このウィルスは存在し続けることが分かっていたので、国民を守るために、混乱を生じさせることなく、治療ができるよう、前もって実行したものだ。当時の責任者の1人は、今回起きている第3波は、本来なら制御することができたという。

第2波の感染は4か月近く増加傾向にあったが、その後徐々に減少に転じた。死者数も2桁近くにまで下がった。2020年11月は、第2波が起きている最中だったが、国民は「独裁制」が再び頭を持たげないよう、必死になって投票を行った。保健相が発表した規則を守って投票したので、時間がいつも以上にかかったが、一日中、投票所が閉まる直前まで、規則を守って待ち、投票した。

権力に狂った軍組織は、ミンアウンフラインの利己的な野心から、選挙の不正を口実に、議会を招集する日の2021年2月1日未明にクーデターを起こした。国民から投票してもらえなかったので、当選できずそっぽを向かれた候補者を含め、狂人が選んだ者たちを集めて、国家統治評議会というものを組織した。国民はみな軍事独裁者を望んでいないだけでなく、選挙で勝利した国民の政府を拘束したので、抗議の意思を示した。軍評議会はそれらの人々を残虐に殺害し、無実の国民1000人以上の命が犠牲になり、軍の暴力という災禍に見舞われている。

彼らが権力を奪取した日から、国民は敵とみなされ、寄進者も医療従事者も逮捕され、コロナ基金は没収、慈善団体の建物には侵入し、資金を略奪、虚偽の報道を行うなど、見境ない卑劣な悪事を積み重ねているだけでなく、コロナセンターに国民が寄進した物品、医薬品、日用品を破壊、略奪、没収するなど、数々の困難を克服し並々ならぬ努力で構築したものが、一瞬にして愚劣で邪悪な人間の仕業により破壊されてしまったのである。コロナ禍において寝る時間もなく職務を遂行してきた医師たち、ボランティア、寄進者たちは、軍政下においては逮捕状の出た逃亡者として発表されている。
抗議の意思を示した人々を無残にも射殺し、負傷者を治療するボランティアの人々を救急車から引きずり下ろし、銃の柄で頭を残酷に殴打するシーンは、国民の心に耐え難い傷として今でも残っている。

コロナの第3波に見舞われている今、国民のために何一つせず、国民同士が互いに助け合って酸素の供給所に行こうとするのを妨害、酸素を得るために列をなしている人々に発砲し人々を蹴散らすなど野蛮な行為は今も続き、病院に入院するにも、血中酸素が不足して呼吸ができない患者に対して、証明書や陽性の診断書がなければ入院を許さず、あの証明書、この署名と愚劣すぎる管理法で責任を果たさず、目の前の患者に目をそむけ、石を投げる冷酷で邪悪な軍評議会とその追従者たちが、再び襲ってきた新型コロナ感染症を制御しようとしていないことは明らかである。

2021年2月1日の前日である2021年1月31日には、保健相の発表によれば、確認された陽性者の数は300人にまで減少し、死亡した人は6人であった。国民の希望は輝きに満ちていた。コロナのワクチンも到着し、第一陣は、必要性に鑑み接種すべき人を優先し、追加分が到着したら、計画通り順次接種する、仕事も再び稼働できると。実際コロナのワクチンは、ミャンマーが近隣諸国より先駆けて手にしていたのだ。民衆のリーダーがいつも話していたのは「私達にはすべての国民が大切です。どの一人の命も失われることがあってはなりません」と。国民を大切にしている指導者は、その大切な国民のために、努力を押しまなかった。そのことは、諸外国からも認められていた。

軍が政権を奪取して6か月あまりが過ぎた2021年7月13日午後8時の発表によれば、新規陽性者数は4047人で109人が死亡している。これは病院に至った人数を発表したもので、地区ごと、郡区ごとにおける正確な数は把握されていない。自宅で自ら治療している人、救助のない人、命を落とした人たちの大勢が、無視され放置されている。仕事を解雇され、失業し、収入もなく、食糧もない人たちを支援することもなく、飢えに直面している国民は、免疫力がなければ病を克服できないコロナ禍で、栄養も取れずにいる。国民を死の淵に追いやり、かつての武漢のように、路上で倒れて死亡する、病院に入院するのを待ってほど近いところでばたばたと息絶える、途上車の中で亡くなる、などかつて危惧していた事態は、国民を大切にするリーダーのもとなら、克服することもできたが、クーデターを起こした者たちの支配下では、武漢の轍を踏む事態になっており、余りにも無念だ。

国民を抑圧することしかせず、国民の利益のために行われている行為のすべてを妨害し破壊している軍評議会組織は、次第に凶悪さを増し、夥しい数の人間が苦難に直面しているのを救助しないばかりか、救援に携わる人々を逮捕、国民の予算を軍評議会の予算とし、国民の財産を軍の所有物にするなど、ありとあらゆる卑劣な行為を行っている。それを見れば、国民に対する恨みから来ていることは明らかだ。軍評議会は、国民はデモクラシーが欲しいのだ、軍事独裁者は要らない、民主主義から一歩も譲らない、独裁者を根こそぎ打倒しようとしている、そのことが突きつけられた選挙の結果以降、恨みから国民を殺害しているのは明らかである。

それゆえ革命を続けていくことができるよう、国民は新型コロナウィルスから身を守り、互いに労り、命を知恵で守り、民衆の指導者の言葉を心に刻みつつ、「健康は知恵で、革命は気づきで」心強くして、生活を続けていこう。

独裁制は必ず失敗に終わる
革命の勝利は間近だ

ティッヌェ

ミャンマー・ハープ・メディア  2021/7/15


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翻訳者:ビルマ語メディア翻訳班(HM)
記事ID:6067