キンウー郡北部タイェッコウン村で住宅70棟以上とモスクが放火される

2022年06月02日付 その他-ミャンマーナウ紙 紙

ムスリムが多数暮らす村の東部を軍が放火し始め、住宅とモスクのほかにバイクなども積み重ねて放火、破壊されたと村人が語った。

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ザガイン管区キンウー郡北部に位置するタイェッコウン村を5月29日に軍が放火したため、住宅70棟以上とモスクが焼失したことが住民4人の話から分かった。

1000人以上が暮らすタイェッコウン村に軍の兵士およそ100人が侵攻したのちに放火し、逃げた村人たちも拘束して回ったという。

「村の西側から重火器で銃撃して入ってきた。村の中には2発着弾した。私たちは彼らが来るというので逃げた。そうして逃げたから無事だった。30分ほど経つと村の外から銃撃してきた」と村人が昨日語った。

軍評議会の部隊はザガイン管区にある町や村を何か月にも渡って連日攻撃しており、キンウー郡のタイェッコウン村は初めて侵攻された。

ムスリムが多数暮らす村の東部を軍は放火し始め、住宅とモスクのほかにバイクも積み重ねて放火、破壊されたことが上述の村人から分かった。

「私たちは火が見えていた。奴らが村を出たら消火をしようとしていたが、火が消えるまで軍は待っていたので燃えてしまった。軍が村を出るときには家の柱しか残っていなかった。何も取り戻すことができなかった」と先の村人が語った。

軍は学校で身を隠していた人々を拘束したほかに、逃走した村人たちも拘束して回ったと、避難民であるタイェッコウン村の別の村人が語った。

学校の中に国民防衛部隊(PDF)と少数民族武装組織が基地を構えて暮らしている、と軍の支持者がソーシャルメディア上に書き込んだために侵攻されたのだと村人たちは推測している。

隣接するキンミッ村から避難してきた人々を村の学校に住まわせてやっていただけだとタイェッコウン村の村人たちは語った。

隣接するピィンダウン村に軍が部隊を配置しておよそ1年が経過し、イェーウー郡で武器と人員を補充したうえでタイェッコウン村に侵攻したとキンウーPDFの報道官が語った。

「勢力は合計で100人ほどだった。侵入してきたときから重火器、小火器を一度に休みなく撃ち続けた」とキンウーPDFの報道官が語った。

「学校の中に隠れていた人々を拘束し、彼らの携帯電話で逃走している人々に電話をかけさせて呼び出し、拘束するというようなこともやっていた。そして逃走している人々をドローンで追跡して拘束もした。」

村の防衛団メンバーの一人も、村の東側にある地元の防衛団メンバーの家々が標的にされて燃やされたと語った。

「軍は防衛団メンバーの家を優先して燃やした。私の家も放火された。2階建てのレンガ造りの家で、家の中のものもすべて燃えてしまった。米の倉庫も燃やされてロンジーだけが残った。私一人だけで4000万チャット近くの損害があった」とその村の防衛団メンバーが語った。

軍は午前中から放火を始め、夕方の5時半過ぎになってようやく退却したことがタイェッコウン村の防衛団メンバーから分かった。

「チャンスが来たら必ずやり返す。私たちはできる限り対抗する。父は80歳を超えている。母は60歳を超えている。不自由でないかと言ったらそんなことはない。とりあえずは森の中にテントを張って住む場所を確保してある。村で暮らす勇気はない。暮らそうと思っても家もない。」

タイェッコウン村が放火された日に、隣接するカンバルー郡カーボー地域アウンター村付近で軍評議会の隊列の一つに対し地雷攻撃を行ったことをキンウー郡PDFが発表した。

カーボー・ダム付近の水門の近くで地雷攻撃を行った際に兵士3人が死亡し、再び地雷が爆発した際にも兵士に被害を与えたが、正確な数は分かっていないとキンウーPDFが語った。

軍評議会はザガイン管区でインターネットだけでなく電話回線も遮断し、兵力を結集して抵抗している人々を攻撃して回っている。

毎日のように村々が放火、破壊されているが、各地のPDFは機会があれば常に軍評議会の隊列に対し抗戦している。

「PDFに参加したため家に放火されたとしても私は後悔していない。正しいことをしていると考えている。(放火によって)恐怖を感じて後退すると(軍評議会側は)思っているのだ。(しかし)私たちは(放火という脅しが)力になっていると考える」と2日前に放火されたタイェッコウン村の防衛団メンバーが語った。

モーウー 2022/5/31


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翻訳者:OR
記事ID:6377