目を開き、耳をすませ

2022年11月07日付 その他 - バーマアソシエ―テッドプレス 紙

本日はダザウンモン月の満月の日である。僧侶への袈裟の献上、カテイン儀礼(訳註: 僧侶に供物を献上する一連の儀式)、ダザウンダイン祭りの開催が、伝統に則り行われる。

このダザウンダイン祭りは、宗教的に行う習慣のある楽しい祭りの一つであり、通常時はこのような様式でいつも行われてきた。そのため、宗教的な実践を行う人は行い、祝祭のみに参加する人はそれのみに参加するということで、それにいちいち言及する必要はなかった。

しかし最近はコロナウイルス感染症の流行と軍によるクーデターにより、それぞれの宗教は宗教的儀式と宗教的な催し物を簡略化し、ひっそりと行うようになった。(あるいは)宗教に基づき行うべき行為を行ない、催し物は行なっていなかった。理由は国内で悲しい出来事が起きているからに他ならない。

ところがさらに最近では、それらの状況は逆の方向に変化した。今年のダザウンダイン祭りでは明らかな変化が見られる。例えば、大都市にある地区や郡のそれぞれにカテインの寄付を受け付けるための舞台が作られた。またそれらの場所ではとても大きな声で歌が歌われ、その賑わいは輪廻転生の中での静寂の極地であるバウェ(非想非非想天)にすら届いてしまうほどであった。

自由に信仰する権利や慣習を信仰心に従って実践することを妨げるようないかなる理由もないが、多くの国民の革命と政治に対する興味関心が弱まり始めていることに政治指導者は気づくべきである。現地の本当の状況を評価し、知ろうとする努力をするべきである。

オンラインソーシャルネットワークと各報道局が放送している情報に満足するべきではない。政治的指導をうまくできている時には、国民が自身の要望をはっきりと示すことができるということを理解すべきだ。国民は、彼らが信頼している政治指導者の指導に対しては明らかに協力し責任を果たしてきたように、将来的にも責務を全うするだろう。

数日前に行われた10分間の消灯ストライキには国民のどれほどが参加しただろうか、参加できる可能性があったのか、などと考えるべきである。全国規模で電気供給が不安定だった期間、電気が止められている期間に消灯ストライキに参加させるようなことは、実際の状況からかけ離れているため現実的なやり方ではない。

その状況は政治指導者に対する信用を落とさせうる状況である。革命の指導者と政治指導者は自分たちの欠点とそれによって国民と乖離している状況を重視すべきだ。

国民が落胆し、国民が参加する勢いがない、国民が支持しない政治的リーダーシップは成功からかけ離れているだろう。そのため国民を責めるよりも自らの行動を顧みることがより適切だ。

国民は様々な苦難に直面している最中である。危険な状況、徐々に苦しくなってきている衣食住、多方面から迫る抑圧的な統治などに直面して暮らしているときに、心を解放する場所を常に探すものである。その解放される場所が楽しい催しものだと思わざるを得ない状況というのは、一方ではそのように見せかけているのだと気が付くべきである。

見せかけの策略による楽しい催しのもとで、多くの国民が甘い罠の中に迷い込まないよう革命・政治の先導者が重視するべきだ。

国民の力と支持のない革命は成功から遠くかけ離れている。同様によく考えて知恵を用いることを怠ることも、フェデラル民主制への道のりを険しくすることを忘れないようにするべきだ。


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翻訳者:S.T.M、M.I、H.O
記事ID:6542