不適切な歴史の教訓をさらに慢性化させたくない

2023年05月29日付 その他 - バーマアソシエ―テッドプレス 紙

春の革命に参加していることは個人崇拝、勇者や優れた国王予定者を待ち望む思想、独裁体制を根絶して、人としての基本的な規範を誰もが享受する権利を有する、よい制度を確立できるようにするためのものであろう。その点が、革命における真髄であろう。ある個人、ある組織、ある政治団体が権力を得ようとして奮闘しているわけではない。

ミャンマーの代々の政治を研究してみると、一人の人物を基礎として、構築しようと努力していることがよくあった。多くの人々から尊敬され信頼を集める人物を先頭に立て、祭り上げて、政治情勢を打開し、構築するようによく努力したものだ。人を基盤として政治を構築してきたことがよくあった。

そのように構築するにあたって、前面に立たされた人は、その人の影響力を高める傾向がよくある。その人を筆頭にしている集団、組織も、自分たちが前面に押し出した個人の影響力を高めようと奮闘することがよくある。

ミャンマー社会の本来の習慣として、理想の国王を待ち望むこと、救済者を探すこと、自らが必要とする人を王位に就かせ、背後から操ることが代々の歴史の中で存在した。遠くない時期にもこういう動きがあった。現在もそのような動きは存在し続けている。支配者である首脳を信仰するに至るまでに信頼が過度である。それ故に、政治活動家たちはその点を用い、自分たちの政治的欲望を実現している。

そのような状況を、政治家のウー・ヌは自分の権力が輝いていた時に目にしてきた。独裁者ネーウィン元大将を役職から退かせるために努力した8888民主化運動において、多くの国民は尊敬し信頼できる指導者を探し求めて、政治家が前に押し出した。その結果、ドー・アウンサンスーチーは政治の舞台に上がらなければならなかった。

ドー・アウンサンスーチーが長期の拘束を受けている間に、他の誰かをリーダーとして前面に出して政治問題を解決するための努力もあった。

そのような、誰かを前面に出して政治を実行するため、国家建設と優れたシステムの確立のため、本当に必要な全員の等しい参加を可能にするという事柄を失わねばならなかった。別の異なる政治勢力も、個人に基盤を置く権力の構築と権力の確立が見られるようになってきた。このように競い合って実行していることにより、それぞれの政治勢力の間に競争、圧力と政治が成熟しない状況が存在するようになった。

しかし、そのような状況であるので国家建設のために本当に必要なものを補う力が弱くなってしまった。国家にとって膨大な損害を被った。

現在春の革命でも個人的なことが広く知られるように、影響が大きくなるように、政治的に地位が得られるように、権力が確立するように、また全員の参加を無視するように、など努力してきたことが見えてきた。このことは、受け継がれてきた歴史に見られた教訓のように不適切な黒い影が残るかもしれないという懸念すべき兆候でさえある。

そのため、国が本当に必要とする良い制度を構築することを優先すべきであり、個人の名声への欲望や権力確立への欲望は減らすべきであることを求めなければならない。

春の革命、ミャンマーの国家建設とフェデラル民主主義を確立するには、誰か良い人、どこかの良い組織に頼っていては全く実現できないことと、それぞれの領域、それぞれの勢力が全て参加して確立することができてはじめて実現可能になるということを忘れずに、個人崇拝において舞台に上がるということを抑えて改善すべきであるということを促さなければならない。


この記事の原文はこちら

同じジャンルの記事を見る


翻訳者:Y.A Y.S K.F A.I G.M HN.M K.Y A.K HR.M
記事ID:6665