土に触れて娘を感じたい ~ラナプラザ事故から1年~
2014年05月16日付 Prothom Alo紙

(4月24日)
ラナプラザビルの崩壊から1年経ったかどうか、ジャマルプルのジョリナ・べゴムは知らない。24日が恐ろしい日だということだけが、彼女にわかっていることだ。この日に娘のヘレナと息子の嫁を失ったからだ。
息子の嫁の遺体は見つかったが、娘は探し出せないままだ。だから、ジョリナは毎月24日にここへ娘に会いに来る。ラナプラザが崩壊した場所に娘を探しに来るのだ。崩れ落ちた建物の跡地の土に手を置いて、母は娘を感じ取ろうとする。
ジョリナ・べゴムは今日も来た。見るとたくさんの人が彼女のようにここに来ていた。今日はあの恐ろしい出来事から丸1年だと知った。だから、これだけの人々、カメラ、記者たちが集まっているのだ。
サバルのラナプラザ崩壊現場には鉄条網が張り巡らされている。その囲いを乗り越えて中に入り、親族を追悼して香を焚いている人たちがいる。ローズウォーターを土にふりかけている人もいる。そうして皆が亡くなった家族や親族の魂の平和を願っている。両手で胸の前にあげ、神に祈っている。親族たちにとってこの場所はいま、墓所に姿を変えた。
ジョシムッディンは、ボリシャルから亡くなった妻カレダの写真を持ってやってきた。彼は1年前もこのようにして写真を持って妻を探しに来たのだった。遺体は見つかり、ボリシャルに連れ帰って埋葬した。政府から金銭的な協力も受けた。しかし不運なことに彼の1人の親戚がその金を使い込んでしまった。8歳のラフィウ・イスラムと2歳半のナフィウ・イスラム、ふたりの息子の将来の将来について、ジョシムッディンは深く悩んでいる。泣きながら「私は騙された」と訴えう。
ラナプラザの事故で負傷した労働者・ショジブは車いすでやってきた。事故現場から救出された後、エナム医科大学病院で治療を受けた。首相官房から車いすを1台もらった。今はそれだけが頼りだ。金銭的な援助は未だにも受けられないままだ。崩落跡地の傍らにたたずんで、ショジブは無言で涙を流していた。

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(翻訳者:関谷レイミ)
(記事ID:276)