変わり行く新年の祝い方
2015年05月07日付 Prothom Alo紙

(4月14日付)(写真キャプション:おもちゃのラッパを手に、お父さんに抱かれて嬉しそう)

ベンガル人の新年の祝い方は変化していっているのだろうか?ベンガル暦のはじめの月、ボイシャクの最初の日、ポエラ・ボイシャクに行なわれる風習・儀式、新しい出納棒を使い始めること、さらにボイシャキ・メラと呼ばれる特別の市や特別の食べ物といったものが、ベンガル人が新しい年を迎えるときの付きものだった。しかし、時代の移り変わりとともに変化していったものも少なくない。さらに、そのように新年を祝う多くの伝統が失われていく一方で、新たにつけ加わったものもまた多い。
ベンガルの新年の祝い方で一番大きく変わったものといえば、風習・儀式、食事、そして服装である。こうした変化は都市部の地域のみならず、辺境の農村地域にもその影響が及んでいる。

ショナリ銀行に勤めるサフィア・ロホマン氏は、幼年時代を村で過ごした。1970年代には、ダカ大学の学生だった。さらに息子もダカ大学に入学したことから、今の新年の祝い方もすぐ近くから見ることができた。
村も都市も合わせて3世代の新年の迎え方を見てきた彼女の感想は「ポエラ・ボイシャクの祝い方は変化してきて、多くのものが付け加わった一方で、また多くのものが失われてきた。しかし一番大きなことは、この現代の祝い方には、どこかしらにも心に訴えかけてくるものがない」といったものだ。

ボイシャクの食事と服装
新年に欠かせないものと言えば、食事と服装だ。10~20年前までは、ションデシュ(牛乳と砂糖を原料とする、日本の千歳飴のような甘くて固めのお菓子)や、グル(ナツメヤシやサトウキビからとれた砂糖を煮詰めて固めたもの)、ピタ・プリ(小麦をこねたもちのようなもの)、コイ(ポップコーンのようなお菓子)、ドイと呼ばれるヨーグルトなどが新年につきものの食べ物だった。しかし、今の世代にとっては、パンタ・イリシュ(ご飯をひと晩水に浸けておいたパンタにベンガルで最も人気の高い川魚・イリシュを添えた食事)がボイシャクの代表的な料理のようになっている。そして、このパンタ・イリシュへのこだわりは都市部で顕著なようだ。
新年の服装と言えば多くの人がドゥティ・パンジャビ(主にヒンドゥー教徒の男性が着用する長い布でできた腰巻きドゥティまたはドーティーと、パンジャビまたはパンジャービーと呼ばれる裾の長めな上着の組み合わせ)の名を挙げる。しかし今ではボイシャクには、白と赤を使ったパンジャビやサリー、サルワルカミーズ(女性の服でサルワルと呼ばれるゆったりしたズボン、カミーズというシャツの組み合わせ)を身につけることが多い。こうした服の売り上げの伸びが目だつ。ボイシャクの服飾市場は今何十億タカにもなっている。

すたれ行く新帳簿の行事
かつては年の初めの日に新しい帳簿を使い始める開く習慣があって、その行事がほとんどお祭りのようにして祝われていた。特に村や地方都市では盛んに行なわれていた。出納帳を新しくする儀式の何日も前から、商人達はお客さんやご贔屓さんに招待状を送ったものだった。この行事の背景には、前の年の未回収金を取りたてるということもあった。しかしそれよりも交際や社交的な交流の場としての意義のほうが大きかった。
だが時代が下るとともにこの新帳簿使い始めの行事を行なうことが少なくなって来た。ダカの商業地区、カロワン・バジャル、モウロビ・バジャル、イスラムプルで商売を営む人たちに尋ねてみると、今はダカ旧市街の一部の店や会社でこの行事が行なわれているにすぎないことが分かった。
モウロビ・バジャルで商売を営むロメシュチョンドロ・ビッシャシュさんは今でもこの行事を行なっているという。「小さい頃から父親や伯父が出納帳を新しくする行事を行なうのを見てきた。伝統を守るために、今も私たのまわりでは出納帳を新しくする儀式が良く行なわれている。お客さんもそれほど集まるわけではないし実入りが良いということもない」といいつつも、この行事をすると心だ安らぐのですよ、とビッシャシュさんは語った。

ボイシャキの料理、服装、風習や儀式と同じく、ボイシャクのお祭りにも変化の影響が及んでいる。ボイシャキ・メラと呼ばれる、この時期に立つ市に出かけて買い物することが新年の行事の一つだった。しかしいまではボイシャキ・メラは以前のように盛んではない。
近年、首都の新年いえば、誰もがロムナ公園のボトムル(「ベンガル菩提樹の根本」を意味する場所)での音楽学校・チャヤノトの歌手たちによる歌と、ダカ大学芸術学部の学生たちによる、張りぼてのトラなどを掲げた「歓喜の大行進」と呼ばれる練り歩きだ。しかし現在は新年の祭りはこの2つに限られない。ダッカ大学構内の各所に巨大な舞台がしつらえられ、コンサートが行われる。一日中繰り広げられるこうした催しの大半はバンド演奏だ。しかしこうしたものはベンガルの長い伝統の一部ではないといって多くの人がこのような催しに異論を唱えているが、若い世代の多くはこれを喜んで受け入れている。

ベンガル新年の迎え方の変化について、ダカ大学のシラジュルイスラム・チョウドリ名誉教授は「ベンガル暦の月として、・あるいは農事暦としてのボイシャク月の意義は失われている。新年のお祭りは自発性を失い、そこにバラバラの要素が入ってきている。またかつて新年のお祭りの要素の一つだったボイシャク市は今は姿を消した」と言う。教授はさらに「以前はボイシャク月にちなんで買い物をすることが人々にとって楽しみであったが、今はそこに人工的なものが入り込んでいる、それは資本主義の産物だ」と語った。

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(翻訳者:牧野未来 林香理)
(記事ID:411)