パーキスターンで恐るべき地震による破壊。260 人死亡、1800人が負傷、家屋何千軒もが倒壊
2015年10月27日付 The daily Jang紙

地震は2時9分に起こり、全土にパニックが走る。人々は信仰告白を唱え続ける。震源はアフガーニスターン、震度8.1である──気象庁。震度7.5である──アメリカ地質学調査所。地震により通信網は混乱の極致。最も被災したのはハイバル・パフトゥーンハー州とFATA(=連邦直轄部族地域)である。
マーラーカンド管区のみで死亡者数137人に達し、シャーングラでは42人、バージョール27人、スワート22人が死亡。パンジャーブでは死亡者数10人、アフガーニスターンでも女子児童12人を含む100人が死亡。インド、被占領カシュミール、タージキスターン、キルギーズスターン(キルギスタン)でも地震の揺れ。

 ペシャーワル、イスラマバード、ラホール(モニター班、通信各社、ニュース記者、ジャング代表):―パーキスターンにおいて恐るべき地震が猛威を振るい、結果260人以上が命を落とし、1800人が負傷、そして何千人もが家を失った。アフガーニスターン、インド、被占領カシミール、タージキスターン、そしてキルギスタンでも地震の揺れがあった。アフガーニスターンでは、学校で学ぶ12人女子児童を含む100人以上が命を落とし、何百人もが負傷した。これら女子児童はアフガーニスターンの(タハール州の)中心都市のタールカーンで地震の最中に学校で起きた逃げ惑う人々の群衆雪崩に巻き込まれて命を落とした。地震によりより大きく被災したのはハイバル・パフトゥーンハー州とFATA(=連邦直轄部族地域)であった。ウスマーン・マーラーカンド管区行政長官によれば、マーラーカンド管区だけでも137人もの死亡者が出たという。ハイバル・パフトゥーンハー州においては非常事態が敷かれ、病院は負傷者で満杯状態になり、入院患者は窮屈になった。アメリカ地質学調査所によれば、当初震度はマグニチュード7.7が観測されたという。地震の震源はアフガーニスターンのバダフシャーン州ファイザーバードであり、その深さは196キロメートルであり、その後震度は7.6、次いで7.5に修正された。パーキスターン気象庁によれば、地震の震源はヒンドゥクシュ山脈であり、マグニチュードは8.1であるという。同気象庁によれば、地震は2時9分に起こり、揺れは1分以上続いたという。
地震で被災したのはハイバル・パフトゥーンハー州、ギルギット・バローチスターン、そしてアーザード・カシュミールである。地震は深さ213キロメートルの地点で起こった。ラホール、ファイサラーバード、ラヒームヤール・ハーン、ジャング、バハーワルプール、マンディー・バハーウッディーン、オーカーラー、バッカル、サルゴーダー、ナンカーナ・サーヒブ、ミヤーンワーリー、シェーフープーラー、スィヤールコート、サーヒーワール、ハーフィザーバード、ナーローワール、パークパッタンを含む全土で地震のために人々は家や会社から戸外へ飛び出し、路上に集まり、信仰告白を唱え続けた。地震の後人々の間にはパニックが広がる一方、人々は自らの親友や肉親の安否を気遣う電話が鳴りやまなかった。地震によりモバイル通信にも影響が出た。通信システムが混乱した。地震の後も全土でまだ余震の可能性が残っている。地震の結果亀裂が走ったためラーワルピンディーのメトロ・バスは運航を一時的に停止する一方シュリーナガルでは地震により通信システムが混乱をきたした。地震の揺れはインドの首都デリーでも感じられ、同地では地下鉄の運行が止まった。ハイバル・パフトゥーンハー州において最も多く死亡者が出たのはマーラーカンド管区であった。シャーングラのマールトゥーングでは地震に続く破壊過程で42人が亡くなり、120人以上が負傷した。バージョール・エージェンシーでは27人が亡くなり、90人以上が負傷した。マへマンド県では5人が亡くなり、8人が負傷した。ペシャーワルでは屋根の落下による2人の婦人を含む6人が亡くなり、500人以上が負傷、スワービーにおいても家の屋根の落下により3人が亡くなり、ジャームルードのグンディーでは家屋の屋根の落下で1人が亡くなった。トールガルでは恐るべき地震により19人が亡くなり、100以上の家屋が倒壊し、100人以上が負傷した。ギルギットにおいても地震によりガザルとダヤーマルにおいて6人、そしてコーヒスターンにおいても5人、チトラールでは23人が亡くなり、チトラール市内で4人、ダルーシュで6人、コーゴーズィーで5人、ボーニーで2人、ガラムチャシュマで3人の内訳である。被災した地域には、ペシャーワル、シャーングラ、上下両ディール、ギルギット、スカルドゥ、チトラール、ノウシェヘラー、そしてハイバル・エージェンシーが含まれ、そこでは、地滑りのために連絡道路が通行止めとなり、市民は孤立無援のままである。パルヴェーズ・ハタック州首相は州に緊急事態を発令しつつ、全ての関係機関に緊急措置を指示した。
スワートでは家屋や塀の倒壊により2人の婦人を含む22人が亡くなり、多数が負傷した。スワート県行政長官によれば、管轄地域では地震によって102の家屋が倒壊したという。チトラールでも23人が亡くなった。上下両ディールでは多数の家屋が倒壊し、その結果19人が亡くなり、170人以上が負傷した。ブーネールでは8人が亡くなり、86人が負傷した。スワービーでは3人、マルダーンでも屋根の落下で3人が亡くなり、150人以上が負傷した。地震の結果カラーコルム・ハイウェイ、ギルギット―チトラール・ロードを含む多数の幹線道が地滑りを受けて通行止めとなっている。カラーコルム・ハイウェイは多数の地点で通行止めとなっている。北方地域では、氷河が割れる一方、人々は冬の季節であるにもかかわらず、露天で過ごすことを余儀なくされている。ギルギット―ガザル・ロードも通行止めになっている。エヘサーン内務長官によれば、地震の後ギルギット・バルティスターンの各病院では非常事態が発令され、各地から負傷者が搬送されているという。一方、ギルギット・バルティスターン州首相は負傷者に完璧に応急措置に当たり、道路を復旧するよう命令を出すとともに緊急に指令室を設置した。政府筋によれば、災害管理局を厳戒態勢に置き、ただちに被災者を支援するよう指示を出したという。
 パンジャーブでは地震により10人が亡くなったが、被害者の出た地域にはクンディヤーン、サルゴーダー、カスール、フシャーブなどが含まれている。カスール近郊の村ドーストプーラでは地震により1軒の家屋の屋根が落下し、その残骸の下敷きになってムハンマド・イスハークが死亡した。そのサーヒーワールでは2人が重傷を負った。グジュラーンワーラーではいくつかの地域で家の壁が崩れ、その下敷きになって4人が重傷を負った。
 ターネーワーラー・バザールの7歳のアリー・ラザー、ティースフット・バザールのムハンマド・アリー、ノウシェヘラ・ロードにある学校の教師、ムアーフィヤ・ビービーの家の壁が崩れ、その下敷きなりムハンマド・イリヤース、同様に家屋の壁が崩れてナヤーイーン・チョウクのアクバル・アリーも重傷を負った。マッカルワールのカマル・ムシャーニーでは地震の揺れで山からの石が鉱夫イクバールの上に直撃し即死した。ジャラールプール・バティヤーン近郊の村ロープキーのムハンマド・ハニーフは、商品の売買でジャラールプール・バティヤーンを訪れ、商品の売買の後の帰り道、ソーランゲン・カラルの近くで地震の激しい揺れのために、自動二輪の制御が効かず、荷車に追突し、即死した。クンディヤーンやカーラーバーグの山で55歳のシャー・ベーグは山羊を放牧していたところ地震で恐怖のあまりふらついて山から落ちて即死した。その他パーイー・ヘールでは壁が崩れ、壁のそばで遊んでいた5人の子供が負傷した一方、多数の家屋では土壁が地震の最中に崩れた。ジョウハラーバードでは、グルナーズが亡くなった。デーラー・イスマーイール・ハーンとカッラル・カハールでも子供を含む2人が亡くなった。マムヌーン・フセイン大統領とナワーズ・シャリーフ首相、州知事や州首相たち、アースィフ・ザルダーリー前大統領、ビラーワル・ブットー・ザルダーリー、PTI(=パーキスターン正義運動)議長のイムラーン・ハーン、ジャマーアテ・イスラーミー代表スィラージュル・ハック、マルカーズィー・ジャミーアテ・アへレ・ハディース代表サージド・ミール教授、ターヒルル・カードリー博士、マウラーナー・ファズルッラフマーン、スンニー・イッテハード・カウンスィルの議長サーヒブザーダー・ハーミド・ラザー、チョードリー・アブドゥル・マジード・アーザード・ジャンムー&カシュミール知事、サルダール・ヤークーブ・ハーン大統領らは地震により失われた生命と財産に対して深い悲しみと残念の念を表明し、亡くなった人々には冥福と遺族には悲しみを乗り越える忍耐を神に祈った。

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(翻訳者:川崎哲哉)
(記事ID:479)