ハンセン病者の救世主、ルート・ファウを国葬の後に埋葬
2017年08月20日付 The daily Jang紙

亡くなった博士には21発の礼砲が放たれた、大統領、参謀総長、スィンド州知事、スィンド州首相他の参列

カラチ(スタッフ・レポーター):-パキスタンでハンセン病患者のために一生を捧げたドイツ人医師ルート・ファウ女史が国葬の後白人墓地へ埋葬された。彼女に21発の礼砲が放たれた。葬儀には大統領、参謀総長、スィンド州知事、スィンド州首相他要人たちが参列した。詳細によれば、ドイツ人医師ルート・ファウ女史は国葬の後白人墓地に埋葬されたが、これに先立ち、彼女の葬儀は聖パトリック大聖堂にて執り行われた。国軍兵士たちがルート博士の遺体を在サダル聖パトリック教会まで肩に担ぎ、その棺はパキスタン国旗に包まれていた。葬儀の間の警備に万全を期すため、国軍の兵士たちが事前に任務に就いていた。聖パトリック大聖堂に居合わせた人々は起立してルート博士に敬意を表した。葬儀は国葬として営まれ、21発の礼砲も放たれた。マムヌーン・フセイン大統領、アフマド・アリー・M・シェイフ・スィンド州高等裁判所長官、カマル・ジャーヴェード・バージュワ参謀総長、スヘイル・アマーン空軍大将、ムハンマド・ズバイル・スィンド州知事、ムラード・アリー・シャー・スィンド州首相、リズワーン・メイマン・スィンド州官房長官、アディーブ・リズヴィー博士、ファールーク・サッタール博士、ワスィーム・アフタル・カラチ市長、駐パキスタン・ドイツ大使の他多数が参列した。ルート・ファウ博士の葬儀では厳重な警備の措置がとられ、警備のために金属探知ゲートが設置される一方、参列者には通行証も発行されていた。パキスタンのマザー・テレサたるルート・ファウ博士がこの世を去ったのは8月10日の夜カラチにおいてである。ところで、統一民族運動パキスタン派代表ファールーク・サッタール博士はルート・ファウ博士の葬儀への参列の後、故人の貢献に対し最高の賛辞を呈しながら、こう言った、「ルート・ファウ博士は偉大な女性であり、その半世紀を超える貢献の結果、西暦1996年にはパキスタンはハンセン病撲滅国に認定されました。彼女は比類ない貢献をしたのです。」と。ワスィーム・アフタル・カラチ市長はこう言った、「ルート・ファウ博士はパキスタンの地で人類への貢献の輝かしい金字塔を打ち立てたました。」と。

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(翻訳者:加藤菜瑠)
(記事ID:696)