カーイデ・アーザムの息女、ディーナー・ワーディヤー、この世を去る。享年98歳。
2017年11月03日付 The daily Jang紙

シャハバーズ・シャリーフ氏、哀悼の意を表明

ニューヨーク発(モニター班、本紙):-パキスタンの建国者カーイデ・アーザム・ムハンマド・アリー・ジンナーの一人娘ディーナー・ワーディヤーがこの世を去った。享年98歳。彼女は1919年8月15日、ロンドンで生まれた。ディーナー・ワーディヤーは遺族として1人息子のノーサリー・ワーディヤーとその夫人、2人の孫をこの世に残した。彼女は2004年にパキスタンを訪れている。カラチでは自分の父の廟にも足を運び、来訪者名簿に自分の印象をも残した。シャハバーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相、ファールーク・サッタール統一民族運動(MQM)パーキスターン派代表他の人々は彼女の死に対し哀悼の意を表明した。一族の関係筋によれば、木曜日カーイデ・アーザムの息女ディーナー・ワーディヤはこの世を去った。享年98歳であった。彼女は1919年8月15日、ロンドンで生まれた。生涯の大半をインドの都市ムンバイで過ごし、生涯の伴侶に出会ったのもその地においてであった。ディーナー・ワーディヤは遺族として一人息子のノーサリー・ワーディヤとその夫人、2人の孫をこの世に残した。ディーナー・ワーディヤが初めてパキスタンの土を踏んだのは1948年、ムハンマド・アリー・ジンナーの死に際してであった。そして再度最後となったが2004年、自らの親族若干名と連れ立ってパキスタンを訪れた。この訪問の際には、自らの父の墓廟にも足を運び、来訪者名簿に次のように自らの印象を残した。「今のこの時はとても素晴らしいと同時に辛い瞬間である。神がパキスタンという限りジンナーの夢を叶えられんことを。」と。
シャハバーズ・シャリーフ・パンジャーブ州首相は、カーイデ・アーザム・ムハンマド・アリー・ジンナーの息女ディーナー・ワーディヤの死去に際して深い悲しみと哀悼の意を表明した。カラーチーのスタッフ・レポーターによれば、統一民族運動パーキスターン派の指導者 ファールーク・サッタール博士もまたパーキスターン建国者の息女ディーナー・ワーディヤの死に対して深い哀悼の意を表しつつ、彼女の死を大きな損失であると位置づけた。加えて、統一民族運動の創設者(訳注:アルターフ・フセイン)もディーナー・ワーディヤの死に対し深い悲しみを表明した。

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(翻訳者:吉川天音)
(記事ID:708)