BUETの学生を殴打し殺害か?
2019年10月07日付 Prothom Alo紙
(バングラデシュの名門大学)バングラデシュ技術工学大学(BUET)の学生、アブラル・ファハドさんが殴打された末殺害されたのではないかという疑いがある。昨日日曜日(10月6日)深夜3時頃、BUETのシェレ・バングラ寮の一階で彼の遺体が見つかった。
同じ寮に住む学生たちは匿名を条件に、同大学のチャットロ・リーグ(与党アワミリーグの学生組織)支部の幹部やメンバーがアブラルさんを暴行して殺害したと語った。
亡くなったアブラル・ファハドさんはBUETの電気電子工学科の2年生(17期生)で、クシティヤ市の出身。
寮の学生の説明では、昨日夜8時頃に同じ大学の3年に在学中のチャットロ・リーグBUET支部の幹部7,8人が、アブラル・ファハドを含む2年生7,8人をシェレ・バングラ寮の2011号室に呼び出した。幹部らはファハドさんの携帯電話を調べて、ファハドさんとイスラム原理主義政党ジャマアテ・イスラミの学生組織である)チャットロ・シビルとの関係のる証拠を探した。そのうちに彼らはクリケットで使われるスタンプと呼ばれる木の棒で彼を殴り始めた。その次にはチャットロ・リーグ支部に属する4年生の幹部やメンバー数人がきてまたアブラルさんを殴った。その結果アブラルさんが死亡したため、夜のうちに同級生たちが呼ばれて遺体を階段の下に置くように命じられた。
事件発生当時、チャットロ・リーグBUET支部の共同部長で同大学の化学工学科3年生のアシクル・イスラム(別名ビトゥ)さんは2011号室にいた。ビトゥさんはプロトム・アロに次のように語った。「夜8時頃にアブラル・ファハドは2011号室に呼び出された。私は時々その部屋に住む友だちのところに行く。昨夜行くと、そこでアブラル・ファハドのFacebook IDとメッセンジャーをチェックされていた。アブラルとチャットロ・シビルの関係を示す証拠もいくつか見つかった。夜8時45分頃、私は部屋から出て来た。その後にそこで何があったのか、私は知らない。自分の部屋に行って勉強や友人とお喋りをし、2011号室に自分のラップトップと本が置いたままになっていたので、それを夜の1時ごろ取りに行ったところ、アブラルが倒れているのを見つけた。その時そこには他の誰もいなかった」
チャットロ・リーグのシェレ・バングラ寮支部の関係者によると、アブラルさんが問い詰められ、殴打されていた時その部屋には、チャットロ・リーグBUET支部の法律担当部長で土木工学科の学生であるオミット・シャハさん、組織部長で化学工学科の学生のムズトバ・ラフィドさん、社会貢献副部長で生物医学科の学生であるイフティ・モシャロフ(通称ショカル)さん他さらに何人かの3年生がいた。その部屋に来て2回目にアブラルを殴ったのは、チャットロ・リーグBUET支部情報分析部長で機械工学科の4年生のオニク・ショルカルさん、体育部長で船舶・海洋工学科の4年生のメフタフル・イスラム・ジヨンさんなど数人だった。
ある目撃者は匿名を条件に、殴った結果アブラルが亡くなったあとで夜のうちに同じ学年の学生たちが呼ばれて遺体を1階の階段の前に置いた、と語った。
シェレ・バングラ寮の警備員、モハンモド・モストファさんはプロトム・アロの取材に「階段の横に設置されている防犯カメラの映像は壊れていたし、何かの音や騒ぎ声は聞かなかった。現場あたりの防犯カメラは数日前から調子が悪かった」と述べた。
記者が朝5時30分にシェレ・バングラ寮を訪れたところ、寮の食堂にアブラルさんの遺体が置かれているのが見えた。アブラルさんの同級生たちからこの事件について聞こうとしたが誰も口を開こうとはしなかった。少し後で寮の防犯カメラの映像が学生たちに公開されたが、夜の2時6分以降の後の映像は見せられなかった。アブラルさんが暴行された疑いのある2011号室も行ったが、そこには誰もいなかった。
夜明け近くに、殺害されたアブラルさんの母方の従兄弟で、日刊紙の記者のアブ・タロファ・ラセルさんが現場にやって来た。ラセルさんは居合わせた記者たちに「アブラルに対する(チャットロ・シビルと関係があったのではないかという)疑いは全く事実と異なる。アブラルの実家はクシティヤ県クマルカリ郡のコヤ・ユニオンにある。そこにアワミリーグの5人の支持者がいるとすれば、アブラルの父のボルコトウッラホは間違いなくその1人だ。私たちはこの事件が正当に裁かれることを望む」と語った。
シェレ・バングラ寮のジャホル・イクバル・カーン寮長はこの事件について「学生がひとり寮の前で倒れていると夜の2時45分頃に知らせを受けた。なぜその学生が(そんな時間に)外へ出たのか、あるいは何があったのかはまだ何も分からない。直ちにBUETの医師が調べたが、すでに死亡しているとのことだった。その後警察に通報した。警察が来て遺体をダッカ医科大学付属病院に搬送した」と述べた。
しかし、現場を訪れた警察のある幹部はプロトム・アロに、チャットロ・リーグBUET支部のメヘディ・ハサン書記長の部下たちがこの事件を起こしたと考えられていると語った。
一方、BUET担当のマシルク・エラヒさんは、「知らせを受けて夜3時に事件現場に行き、1階と2階の中間あたりでアブラルさんが倒れているのが分かった。調べてみたがもう死亡していた」と語った。死因についての質問には、「殴打によって亡くなった可能性が高い」と答えた。
チョクバジャル警察署のデロワル・ホセン係長(SI)はプロトム・アロに、夜2時45分頃にシェレ・バングラ寮のそとの1階部分に男性がひとり倒れているという通報を受けた。寮の当局者が警察に知らせた。知らせを受けて3時頃に現場に行った。死亡した男性が身につけていたものはズボンとシャツだった。
殴打された傷跡についてデロアル・ホセン係長は「何か武器を使ってできた傷跡ではない。何かで殴られたのだろう。遺体はこの後司法解剖される。その報告を受けた後で死因が明らかになるだろう」と述べた。
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(翻訳者:井口里沙)
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