アリシャ、ついに校庭に
2020年07月04日付 Prothom Alo紙


アリヤナが学校に行くとき、たった一人の妹のアリシャが時々、自分も学校に行きたいと駄々をこねた。まだ学齢に達していないので、なだめすかして家にいさせなければならなかった。
姉のアリヤナの学校の様々な行事に母と一緒に行く機会があればアリシャは大喜びだった。こうしてあるとき学校に入学する時期がやってきた。しかし、年齢がそれを妨げた。
日本では小学校入学の最少年齢は6歳で、これ以下であれば次年度の新学期を待つ以外他の方法はない。満6歳になるのに2カ月足らなかったため、アリシャは長い一年を待たなくてはならなかった。こうした場合バングラデシュなら父方の叔父だの母方の伯父だの、あるいはお金やら政治的指導者やらが何らかの役割を果たすことができるのだが、ここ日本ではありえない。規則の前ではどんな権力の役に立たないのだ。そのためきちんと1年間待って、ついにこの4月、アリシャの小学校入学の時がやってきた。1月から2月の間に入学のための手続きはすべて完了していた。しかしここでまた妨害があった。今度は年齢ではなく、世界中に蔓延したコロナウイルスによるものだった。
学校に行くことができずアリシャは落ち込んでいたが、父親である私の心には、不吉な13の迷信がよぎっていた。なぜならこの子の誕生日は13日だから。しかし、現代社会ではこの不吉な13日も他の日と同じように普通の日だ。それはさておき、このコロナ禍で姉妹は家にいることを強いられた。コロナを警戒して家の外で遊ぶことや両親と買い物に出ることもほぼなかった。そして長く続いた自宅での生活では、コンピューターでアニメやゲームをし、朝夕は決められた通りに机に向かうのがルーティンとなった。
生徒たちが学校に行くことができなくても先生たちは学校に来て、何日かおきにそれぞれの生徒に電話して健康状態を確認し、コロナ禍で気を付けるべきことに関しても注意喚起をした。保護者は10日ごとに学校に行き、子どもの宿題を提出し、新しい宿題をもらってこなければならなかった。
宿題のやり取りを通じて勉強が進んでいても、直接学校に行くことができず、屋外で遊ぶこともできずにいる私の娘たちが苛立ち、息苦しさを感じていることが見てとれた。私たちが学校に通っていたころには、休校になれば大喜びをしたものだ。それ以外にも学校を休むために腹痛だの頭痛だの様々な口実も作っていた。しかし国から離れたここでの生活では、子どもたちの学校に行きたいという気持ちは驚くほど強く、学校をさぼるための口実を考えるなどということは思いもしないのだ。その理由は日本の、ちっとも怖くなく、プラッシャーもなく、楽しい学習方法とフレンドリーな先生たちの存在だ。
子ども時代私たちは学校を休むための言い訳を考え、それが本当であるかのように見せるために演技をし、それを両親は知っていたとしても知らないふりをしていた。子どもの頃にはこの欺く行為に勝利することが大きな成功と思えたものだった。子ども時代の欺瞞は子ども時代だけでは終わらない。むしろ人生のあらゆる段階での練習を通して、私たちは一人ひとり巧みで賢い騙し屋になる。これが影響を及ぼして、友人同士でも夫と妻の間でも職場でも、引退後の生活の中でさえ、嘘と騙しが横行する。そのため、人生のあらゆる段階はまぎれのない真実の美しさと縁のないものになり、多かれ少なかれ傷つくことになる。
日本の学校の先生は生徒に「いつも本当のことを言おう」とか「嘘をつくことは罪だ」と教えることはない。そもそも嘘をつく場所を作らないのだ。だから生徒は嘘を言ったり、嘘の理由のために演技したりする必要はない。子どものころから本当のことを言おうというしっかりとした気持ちがあるため、日本人は嘘をつく学習をしない。そして、日本の教育のあらゆる階層で、教師たちは生徒たちに規則やシステムを身に着けさせることに心を砕く。外国人保護者たちは自分たちの子どもより、この国の様々な法律や規則を知っているとしても、それを守ることにかけては話が違ってくる。親が子どもに「お父さん、青信号になってないよ、どうして渡るの?」などと言われているのはよく見かける光景であり、その結果父親は道を渡りかけていたのを戻ったり、たとえ車が一台も走っていなくても、青信号に変わるのを子どもと一緒に止まって待ち続けたりしなくてはならなくなる。
日本の小学生が登下校時に秩序正しく列をなし、道の端を歩いている美しい光景は心奪われるものだ。規律正しい軍隊が行進する様子にも思える。こうして日本人は将来人生という戦いに挑む戦士たちを作り上げる。
コロナの拡大が収まり政府は6月1日から教育機関の再開を決定した。これでアリシャが学校に行けるようになった。しかし、それでもコロナが華やかな入学式の機会を奪い取った。コロナウイルスに警戒して入学式は簡単に行われた。待ち焦がれていた入学式の日を心に刻むため写真を撮ろうとしたら、アリシャはVサインでポーズした。そんな様子を見ながら、アリシャはとうとう年齢とコロナの壁を乗り越え、今日学校の校庭に立つのだな、と思った。

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(翻訳者:尾﨑彩奈)
(記事ID:902)