人権派の旗手、著名なジャーナリスト、I.A.ラフマーン、この世を去る
2021年04月13日付 The daily Jang紙

HRCP: 言論の自由、正義の普及、憲法擁護のためにペンでもって力を揮い、数々の政界的な賞を賜った。声なき者たちの声となった。

アルヴィー大統領、サーディク・サンジャラーニー、アサド・カエサル、ビラーワル、シャー・マフムード、シブリー・ファラーズ、ウスマーン・ブズダール、チョウドリー兄弟、ハムザ・シャハバーズ、アリーム・ハーン、カーイラ他各氏パキスタン=ムスリム連盟の指導者アリム・ハーン他各氏の弔意の表明

ラホール、イスラマバード(ジャング特派員):-著名なジャーナリストで人権派の旗手、I.A.ラフマーン(イブン・アブドゥッラフマーン)が享年90歳でこの世を去り、ラホールに葬られた。息子のアシュアル・ラフマーン氏によれば彼は糖尿病を患っていたということである。
I.A.ラフマーンは1930年に[現インド]のハリヤーナ州で生まれ、およそ70年に亘りジャーナリズムに携わった。そのキャリアの始まりは記者で、パキスタン・タイムズの編集長をも務めた。パキスタン人権委員会(HRCP)はその名誉広報官であり、事務局長をも務めたI.A.ラフマーンの死去に対して強い悲しみを表明した。
I.A.ラフマーンは1990年から2008年までHRCPの会長職を務め、その後2008年から2016年まで投票で選ばれた事務局長として務めを遂行した。彼は「平和と民主主義のためのパキスタン・インド・フォーラム」の共同創設者であり、「人権擁護のための南アジア人(SAHR)」のビューロー・メンバー(代表?)、そして「人権のための南アジア人フォーラム(SAFHR)」の議長を務めた。彼は「拷問に反対する世界組織(OMCT)」が設立したワーキング・グループのメンバーであり、パキスタンにおけるマイノリティの権利擁護のための人民委員会の後見人として務めを果たした。彼は2003年にニュールンベルグ市国際人権賞、その後2004年にマグサイサイ賞を賜った。HRCPより出された声明の中ではこう述べられている。すなわち、「I.A.ラフマーンは人権擁護の旗手であり、貫禄があるとともに節度があり、極めて慈愛に満ちた人であった。彼は1971年のかつての東パキスタンにおける軍事行動に反対した数少ない反対者の1人に数えられており、ズィヤー・ウルハック将軍の軍事政権下において、労働組合の活動や市民の自由に関する自らの思想や活動によって拘束という苦難を経験し、職の解雇といった過酷な現実に直面した。70年に亘るジャーナリズム人生において、彼は映画、文学、政治、そして人権といったテーマでペンを揮い続けた。」と。
HRCP議長ヒナー・ジーラーニー女史は、I.A.ラフマーンはがこの世に残した強大な権力者グループの前で堂々と真実の声を上げるという遺産のお蔭で大衆の心の中に人権、民主主義、そして法の支配を尊重する価値が生まれた、と述べた。ハーリス・ハリーク事務局長は、I.A.ラフマーンのような国民的な知識人の代わりとなる人物を探し出すことは不可能であると述べた。
ビラーワル・ブットー・ザルダーリーは自身の弔辞において、彼の死によりパキスタンにおける民主主義の不屈の代弁者は私たちの中にいなくなったと述べた。
アーリフ・アラヴィー大統領、サーディク・サンジャラーニー上院議長、アサド・カエサル下院議長、カースィム・ハーン・スーリー同副議長、シャー・マフムード・クレーシー外務相、シブリー・ファラーズ上院議員、アースィフ・アリー・ザルダーリー元大統領、ウスマーン・ブズダール・パンジャーブ州首相やチョウドリー・シュジャーアト・フセイン、パルウェーズ・イラーヒー、ハムザ・シャハバーズ、チョウドリー・マンズール、ハサン・ニヤーズィー他、の指導者が彼の死去に際し哀悼を表明し、故人のプロフェッショナルな貢献に賛辞を送りつつ、彼には冥福を、遺族には彼を喪った悲しみに耐える力を授かるよう祈った。

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(翻訳者:中間暖)
(記事ID:972)