ウルドゥーの著名な文学者であり教育の専門家であったファルマーン・ファテへプーリー博士が死去
2013年08月04日付 The daily Jang 紙
50冊以上の書籍を執筆。87歳だった。葬儀は今日(訳者注:2013年8月4日)ゾホルの礼拝後に執り行われる。
カラーチー(スタッフ・レポーター)ウルドゥーの著名な文学者、研究者、批評家であり、教育の専門家であったファルマーン・ファテヘプーリー博士が長期療養ののち、亡くなった。87歳だった。葬儀は、8月4日日曜日、ゾホルの礼拝後、グルシャネ・イクバールの13-D1地区にあるハリファーエ・ラーシディーン・モスクで執り行われる。ファルマーン・ファテへプーリー博士は、1926年1月にインドのファテへプールで生まれ、彼の性格にはさまざまな側面があり、そのすべてが信頼に値するものであった。ファルマーン・ファテヘプーリー博士は、学術、文学、研究に関する著作が約50冊に達し、長期間にわたりカラーチー大学のウルドゥー語学科の学科長を務めた。氏の数え切れない弟子たちが、カレッジや大学で教鞭を執っている。その点で、氏は、教師の中の教師と呼ばれていた。ウルドゥー語辞書局における教育や辞書編纂においても、顕著な役割を果たし、同辞書局の局長も務めた。アッラーマ・ニヤーズ・ファテへプーリー氏の死後、雑誌「ニガール」の編集長を務め、息を引き取るまで、同誌の発行を継続した。氏は過去26年間毎年12月にアッラーマ・ニヤーズ・ファテへプーリー氏記念講演を継続して実施し、国内外の多くの重要な賞を受賞している。パーキスターン政府も博士に卓越の星を授与し、学術的、文学的功績を讃えている。博士は、ウルドゥー詩人の伝記に関してきわめて大きな研究を行っており、長く記憶されることであろう。ファルマーン・ファテヘプーリー博士には、アブー・アッライス・スィッディーキー博士に次いで、2人目の名誉教授の称号が与えられている。なお、アルターフ・フサイン統一民族運動領袖は、著名な学者で知識人でもある、作家で歴史家のファルマーン・ファテヘプーリー博士の死去に際し、深い悲しみを表明し、ファルマーン・ファテヘプーリー博士の死去は、国民は貴重な知的、文化的財産であり、思いやりのある大人物を失ってしまった、と語った。
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翻訳者:萬宮健策
記事ID:240