カラーチーはかつては様々な文明の集う中心だった―─初のカラーチー国際会議開幕―─

2013年11月03日付 The daily Jang 紙
相異なる複数の宗教に属す人々が仲睦まじく暮らしていた。アーリフ・ハサン、ズルフィカール・カルホーロー、サルファラーズ・ソーランギー、ハミーダ・コーロー、グル・ハサン・カルマティーの各氏がスピーチ

カラーチー発(レポート:ズィーシャン・スィッディーキー):―2日間に亘る初のカラーチー国際会議が、土曜日、カラーチーのアート・カウンスィルで開幕した。そこでは、カラーチーの歴史、文化、生活様式や政治的インパクトを巡って様々な発表者が発表を繰り広げた。会議の冒頭、著名な都市プランナーで建築家でもあるアーリフ・ハサン氏が基調講演を行った。その中では彼は都市カラーチーの発展の軌跡と文化的、社会的破綻に言及しながら、植民地期の負の遺産と同時に新時代の発展について述べた。彼はまたパキスタン建国後カラーチーではどのような長所が現れたかという点にも言及した。アーリフ・ハサン氏の話の核はズィヤーウル・ハックの独裁政権時代とそれによる文化的環境の台無しを巡るものであり、今日では1つのカラーチーではなく、4つの質の異なるカラーチーが成立していると述べた。会議の最初のセッションでは、司会はカリームッラー・ラーシャーリー博士が行った。カラーチー会議実行財団の議長であるアスマー・イブラーヒーム博士はそのスピーチで有史以前のカラーチーに関する研究を発表し、一方、ズルフィカール・カルホーロー博士はグダープに見られる数千年前の遺物に関するブリーフィングを行った。このセッションの座長のサルファラーズ・ソーランギー博士は、両発表者の研究に対し講評を行いながら、両研究者は研究と並行して複数の論文を纏め、指導的立場に立っていると述べた。次のセッションの座長、ハミーダ・コーロー博士は、カラーチーは常に支配者、被支配者両者の注目の的であり続け、多様な文明、文化の中心であり、そういうわけでここには文化的多様性の統一が存在したと論じた。次にこのセッションでスピーチに立ったグル・ハサン・カルマティーは、カラーチーには、当初、多数のユダヤ人が居住しており、ローレンス・ロード、ガース・マンディーはその中心であり、マディーハ・プラザのある場所以前は彼らの礼拝施設であったと述べた。また、1930年にメーワ・シャーで最初のユダヤ人が埋葬された、と。ある質問に答えて、彼はこの地方の言葉では宿泊施設は「ラーンディー」と呼ばれており、現在の有名な住宅地区、ラーンディーはその名残りであり、一方青々と緑に覆われた場所は「マリール」と呼ばれており、カラーチーではかつてあらゆる宗教の信徒たちが仲睦まじく暮らしていたのであると述べた。会議ではシェーマー・キルマーニー・グループが様々な出し物を披露し、最後を締めくくった。日曜日の会議では「リヤーリー」に焦点を当てながら3回のセッションに分けて発表が展開される予定。


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翻訳者:横川典代
記事ID:260