戦勝記念日
2016年12月06日付 Prothom Alo 紙

(12月6日付)バングラデシュの重要な記念日・戦勝記念日がやって来る。12月16日はベンガル民族の千年の歴史の中で、最も誇りに満ちた大切な日である。この日はベンガル民族、とりわけバングラデシュ国民にとってたいへん誇るべき日なのである。1971年の3月26日から12月16日まで9ヶ月間の長きにわたって、のべ300万人のベンガル人の命が奪われ20万人の女性たちの尊厳が汚されたのと引き換えに、バングラデシュ解放の道が開かれたのだった。
そもそも戦勝記念日とは何なのか?普通の日々の中にあって、この日は特別で素晴らしい名で呼ばれる。たくさんの国に様々な理由、特徴、意義によってたくさんの祝日が存在する。その目的と意義は国によって異なることもあるだろう。しかし、戦勝記念日の持つ意義は全ての国で同じである。この祝日には、党派や意見の違いに関わらず、全国民が1つとなって国家の歴史において最も重要な戦争での勝利の思い出を語るのだ。民族としての誇りで胸がいっぱいになり、歓喜にあふれる一方で、命と引き換えにこの誇りをもたらしてくれた人々に想いを馳せ、誇り高き戦いを経験して今も生きる人たちへの尊敬の思いを新たにする日でもある。
戦勝記念日は古い歴史を持つものではない。簡単に振り返ってみよう。1945年の5月2日、ヨーロッパで第二次世界大戦が終結した。敗れたドイツ軍は5月4日と5日に降伏文書に調印した。しかし、実際には公式に戦争が終わったのは5月8日の真夜中のことである。このような重要な出来事を忘れないものにしておくために、ロシアの人々はちょうどその後の日、つまり5月9日を戦勝記念日という名の国民の祝日として祝い始めた。
ナチスドイツがロシア、当時のソビエト連邦を攻撃した際、ロシア軍は賢い戦術でドイツ軍を危機に陥れ、撤退を余儀なくした。ロシア軍はドイツ軍を追ってベルリンまで進軍した。すなわち戦いはその時、ロシアではなく攻撃者であるドイツの領地内で行われたのである。この戦いでヒットラーの軍は敗北する。
しかし、戦勝記念日を祝う真の目的は、勝利の宴としてではなく、その戦争で亡くなった人々を追悼することである。国を守るために命を投げ打った人々に感謝することである。この日ロシアでは戦争で亡くなった兵士たちの墓に花を捧げる。戦争を生き延びた元兵士たちはこの日、勲章やメダルをつけた軍服に身を包み道をパレードする。もともとロシアが戦争を始めたのは、攻撃者から自分たちの母国を守るためだった。そのためロシアの人々はあの戦争を愛国のための戦いと考えている。その意味で第二次世界大戦もロシア国民にとっては愛国の戦争なのである。当時ロシアの各世帯から少なくとも一人は戦争に参加した。加齢により戦場にいけなかった人々は武器を作る工場で働かなければならなかった。それは戦争に行くより決して楽なことではなかった。今日ロシアの戦勝記念日は、生存する元兵士たちに向けた大統領の祝賀メッセージで幕を開ける。パレード、花束、ご馳走やプレゼント贈呈でこの日を祝うのである。地方レベルでは大小全ての地域の首長が大統領にならってそれぞれの地区で同様の行事を催す。この点バングラデシュの独立記念日と勝利記念日の祝い方はロシアに特に深く似ていると言えよう。
他の国々の戦勝記念日についても、その意味や意義は大体同じである。面白いことにこの戦勝記念日は年間を通してどの時期にも行われている。さらに同じ月にいくつかの国で戦勝記念日が設けられているケースもある。いくつか例を挙げてみよう。
カンボジアは1月7日
アンゴラは3月27日
ベトナムは5月7日
ヨーロッパは5月8日
旧ソビエト連邦は5月9日
スリランカは5月18日
エストニアは6月23日
インドは7月26日
北朝鮮は7月27日
ラオスは8月1日
クロアチアは8月5日
トルコは8月30日
台湾は9月3日
モザンビークは9月7日
マルタとパキスタンは9月8日
イタリアは11月4日
バングラデシュは12月16日
これ以外にも世界のさらにいくつかの国で、さまざまな出来事をめぐって戦勝記念日が祝われている。エジプトは3つの大国による攻撃が終了した12月23日を戦勝記念日としている。ロシアが1945年にドイツが降伏した日にちなんで5月9日を戦勝記念日と定めているように、フランスも5月8日を戦勝記念日としている。アメリカのハワイ州とロードアイランド州では8月の第二月曜日が戦勝記念日とされ、特に日本に勝利した日として設定されている。この日が祝日とされていた時期もあったが、1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下されて戦争が終結したことから、祝賀にふさわしくないとされ、のちに祝日ではなくなった。しかしロードアイランド州ではその日は国の祝日ではなく、州の祝日としている。ロードアイランドの住民たちは、自分たちの州が戦争に最も多くの兵を送り出し、その比率通り日本軍による真珠湾攻撃で州出身の兵たちが最も多く命を落としたことを記憶にとどめようとしているのである。
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翻訳者:加藤梢
記事ID:605