ディリープ・クマール、この世を去る

2021年07月09日付 The daily Jang 紙
 何千万人ものファンの心を虜にした名優、ディリープ・クマール(本名:ムハンマド・ユースフ・ハーン)が長い闘病生活の末、水曜の朝(=2021年7月7日)ムンバイにて98歳で亡くなった。その日の夕刻、彼の葬儀が国葬に準じた厳粛さの中で執り行われた。彼は、57年に亘り献身的に支えた妻サーイラ・バーノー女史をこの世に残したままあの世に旅立った。パキスタン大統領アーリフ・アルヴィー博士、イムラーン・ハーン首相、ラームナート・コーヴィンド・インド大統領、ナレンドラ・モーディー首相を含む政治指導者や各界の重鎮たちが、彼の死に哀悼の意を表した。
 ディリープ・クマールは60年間の映画人生において、常に量より質を心掛けた。そういった姿勢から、彼はパドマー・ブーシャン賞、ダーダー・サーヒブ・パールケー賞に加え、1998年にはパキスタン政府から殊勲賞(ニシャーネ・イムティヤーズ)の栄誉を賜った。彼が出演した映画には、「デーヴダース」、「ラーム・シャーム」、「ガンガー・ジャムナー」、「クランティー」、「ソウダーガル」、「アードミー」、とりわけ「ムガレ・アーザム」は不朽の絶賛を獲得した。
 ディリープ・クマールがパキスタン人の心に宿る理由の1つには、彼がペシャーワルで生まれ、13歳までその地で過ごしたということがある。ムンバイに移った後、彼は昼夜を問わず精進を重ね、遂に1944年、初の映画「ジャワール・バーター」でディリープ・クマールの名でスクリーンに登場した。彼のペシャーワルに残る旧宅は[ハイバル・パフトゥーンハー]州政府が購入し、博物館に改装する。パキスタンに出身都市(=ルーツ)があるということと彼に対する何千万人ものパキスタン人の衰え知らずの人気のために、何度か彼はインド政府によって課された困難を耐え忍ばざるを得なかった。しかし、演技の世界には国境などというものは存在しない。まさにその理由で、4世代に亘る彼のファンとディリープ・クマールとの間にはいささかの障壁も介在し得なかった。
 至高の神よ、彼が冥福を賜りますよう。アーミーン


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翻訳者:加藤彩
記事ID:969