エベレストにパキスタンの国旗がまた1つ

2023年05月24日付 The daily Jang 紙
世界の最高峰にパキスタンの国旗がまた1つたなびいた。今回我が国の国旗を打ち立てたのはカラチの私立大学の学生、アサド・アリー・マエマンである。スィンド州出身の運を持合せた上タフな若者は今やエベレストを制覇した稀有な1団に仲間入りをした。彼に先んじてエベレストに登頂したのはパキスタンの著名な登山家、サージド・サド・パーラーであった。彼は先週の日曜日、無酸素補給で世界の最高峰を制覇した。サージド・サド・パーラーに更に先立って、パキスタンの[女性]登山家、ナーイラ・キヤーニーが、エベレストを制覇し、世界の最高峰に登頂したパキスタン人2人目の女性であるという栄誉を手にした。エベレスト初登頂は1950年代のことである。以来多数の人々がルートやスタイルを変えて最高峰の制覇に挑戦した。多数の登山チームは立ちはだかる高いハードルや変わりやすい天候を前にして、登頂を諦めざるを得なくなった。サージド・サド・パーラーの今回の試みの前に、彼の父であるムハンマド・アリー・サド・パーラーは酸素ボンベなしで最高峰を制覇するために出掛け、最後のメッセージが届くまで足取りも順調であった。ころが、その後、突然彼が遭難したとのニュースがもたらされた。彼は地滑りに巻き込まれたのではないかと考えられている。また、こうも言われている、彼は酸素補助なしの当初の目標を達成したものの、事故の犠牲になったと。サージド・サド・パーラーは彼の父、ムハンマド・アリー・サド・パーラーの使命を果たすために出掛け、これを達成したのであった。さて、今回、アサド・アリー・マエマンがエベレストにパキスタンの旗を打ち立てた。世界の各地で、人々は最高峰の登頂に挑戦する試みを続けているが、そこには成功もあれば失敗もある。核心にあるのはかの決断力であり、これが事業を始める発端ともなり、また、この決断力こそが科学の発明も含め、あらゆる部門で成功の鍵となるのである。


原文をPDFファイルで見る

同じジャンルの記事を見る


翻訳者:中西七海
記事ID:1119