レバノンの同性愛者団体が無料配布の啓蒙雑誌を発刊(アル・ナハール紙)
2005年10月06日付 Al-Nahar 紙

■ 我々は未だに社会の外側にいる 我々は内側へ入ってゆきたい
■ レバノンの同性愛者団体「フルム(夢)」協会が雑誌『バッラー(外側)』発刊

2005年10月6日付アル・ナハール紙(レバノン)HP文化面

【マーヒル・シャラフッディーン】

 世界保健機関(WHO)をはじめとする多くの国際機関が同性愛を病名の一覧表から削除し、フロイトが同性愛は「倒錯でも、精神の欠陥でもない」と強調したにも関わらず、また、同性愛者の手による世界的な芸術や文学が多くあるにも関わらず、欧州とアメリカのいくつかの州を除き、殆どの社会においては同性愛は未だ罰則を科されるべき犯罪であるとされており、いくつかの国々では終身刑や死刑までもが科されている。

 レバノンでは、我々レバノン人が陰に陽に言おうとしてきたことを、レバノン刑罰法第534条では「全ての自然に反する性交渉には1年以内の禁固を課す」と数語で要約している。法律上の厳格さは二の次でむしろまずは社会的な厳格さの中にあって、権利を禁じられたこの「少数派」に関する活動を行うことは、いかなる活動であってもリスクが必至となる冒険である。ましてやその活動が専門誌の刊行であるとなれば、その危険はいかばかりであろうか。

■ 無料配布ゆえの合法性

 レバノンやアラブ世界における同性愛者の問題に関わる雑誌の発行が少なからず危険を伴うことは理解できる。この『バッラー』のような雑誌のタイトルが、一語で全てを表すことを意図したタイトルになることも理解できる。また、この雑誌を発行している「フルム(夢)」協会が、その信条が「非合法」であるという圧力のもとで活動することに、もはやためらいの色を見せていないことについても、理解できる。この雑誌の題名は表紙から全てを言い表すことを意図しているわけだが、雑誌の編集を指揮しているムニール・アブドゥッラー氏はそれについて次のように説明している。

 「私たちがこの名前を選んだのは、まだ私たちが社会の外側にいるからであり、また「バッラー」という言葉が何よりも先ず「異質性」を意味するからです。雑誌を作ろうと考えたのは、すべての団体は独自の刊行物を出してもよい(また出すべきである)のではないか、と考えたからです。それに、私たちは著述家として、新聞への執筆活動をめぐって非常に悩み苦しんできました。執筆の内容が原因で、発表のペースも捗々しくなかったのです。」『バッラー』誌の合法性は、ムニール・アブドゥッラー氏の見るところでは、それを発行する団体、つまり「フルム」協会の合法性によってもたらされるものである。それに『バッラー』は非売品であり、「ズィーコ・ハウス」内にある協会本部において無料で配られるものである。

 「フルム」協会は、レバノンで同性愛者や両性愛者や異なる性的指向をもつ人々の保護活動を行っている団体であり、同性愛者の人権と社会的平等の原則のために活動している。メンバーは僅か数人であるが、様々な境遇や関心をもっており、彼らの奪われた権利を獲得するために集まった人々である。協会の責任者であるジョルジュ・カッズィーは、フルム協会には同性愛者ではない会員もいると述べた後、協会の設立の目的は「同性愛者たちを苦しめている迷信や支配的な状況に対抗するため、講演やシンポジウム、文化的活動を通して、レバノン社会における啓発運動を行うこと」だと説明した。

(後略)

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( 翻訳者:「南・西アジア地域言語論(アラブ・メディア翻訳)」10月14日 )
( 記事ID:1094 )