Türker Alkanコラム:ケマル主義者と共産主義者(Radikal紙)
2005年10月15日付 Radikal 紙

 小学校のころ興味を持って聴いていたラジオの一つが有名な「我らのラジオ」だった。ソ連のプロパガンダラジオ局だ。何曲か歌や民謡を流した後に始まるニュースでは、ほとんど全部のニュースが「村の電化」「村に道路が開通」「新しく建設された工場」といったことに言及して終わるのである。
「電気が来た村の数はここまで増えた…」といった具合に。
 大学時代には(『方向』のような)左翼思想の出版物にも似たような特徴が見られた。ソヴィエト連邦共和国やその他の社会主義国家がどれだけ速いスピードで発展したか、近代化を成し遂げたかといったニュースを聞いていたものだった。ハイスピードの発展、教育や衛生面での成功、重工業の成長、道路のインフラ整備、宇宙テクノロジー…。
 実はまさにこれらは重大な誤りだったのである。原初のありようとしては、社会主義体制は発展や産業化や近代化のモデルとして考えられたものではなかった。社会主義やそれに続く共産主義は、すでに発展した資本主義国家のさらに発展した段階のシステムであるという考えがあったのだ。しかし、そのとおりには適用されなかった。社会主義(より正しくは国家主義)は、経済発展と社会の近代化の手段のように認識され始めた。資本主義の西側諸国ではとうに解決された資本蓄積や下部構造の問題を簡単に解決する奇跡の公式のように思われていた。
 社会主義国家が見舞われた失敗の背景にある原因の一つは次のようなものだ。
すなわち、手段と方法の間に深刻な不適合があったのである。
 トルコ共産党の元書記長ナビ・ヤージュは最近になってトルコのEU入りを支持する論考を書いたり講演をしたりしている。非常に多くの人々がこれを驚きをもって見ている。「どうしたんだ。ほら、君は共産主義者だったろ? EUには反対だったんだろ? どうしたっていうんだ?」と。
 昨日〔10月14日〕のミッリイェト紙で「かつてあなたはEUに反対だったのですか?」との質問に彼は次のように答えている。「昔は帝国主義ブロックだと思っていました。実は、今日私が話していることは、昔からの左派の伝統に則ったことなんです。最近になって考えたわけではありません。しかし左派は残念ながらこうした努力に踏み込めなかった。以前のこともちゃんと批判できず、現在のことも新たな視点で理解できない。私が思うに、左派が陥っている袋小路はまさにこういうところなのです。」
 根本的に考えれば、トルコ共産党やその他の左派団体に属するナビ・ヤージュ氏のような人々が現在トルコのEU加盟に向けた努力を支持することに深刻な矛盾があるとは思われない。スローガンをはぎとって見てみれば、ソヴィエト連邦共和国でも中国でも東欧ブロックの国々でもキューバでもヴェトナムでも、左派の本来の目標は「発展、成長、近代化」であることが見て取れる。
 トルコのEU加盟を支持することとこうした目標の間に深刻な矛盾があるとは思わない。もちろん近代化の方法、つまり体制と手段における差異はあり、これらは大変に重要である。しかし、「国家主義」を発展や近代化の手段と考える人も、この目標を達成するために民間セクターや資本主義だって悪くないと考えることは可能であろう(特に国家主義が手段としては破綻したのを目の当たりにした後には)。毛沢東はこう言っている。「ねずみを捕まえるまでは猫が黒か白かはあまり重要でない」と。
 ある時代にマルクス主義者だった人々がいまやEUを支持していることは理解できる。わからないのはケマル主義者の中でEU反対論者がいることだ。ケマル主義の「民族主義」的側面にこだわり、そこにとどまってしまっているのである。
 しかしケマル主義はただ民族主義だけではない。20世紀の最も視野の広い近代化運動の一つである。
 彼らはこのことを忘れているのだ。


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( 翻訳者:宇野陽子 )
( 記事ID:1104 )