エジプト・スエズ湾での船の衝突事故に伴う救助活動(アル・アハラーム紙)
2005年10月19日付 Al-Ahram 紙
■スエズ湾で衝突した二船の最大の救助活動
■二つの船体の分離前の乗客解放が1459名を沈没から救った
■ムバーラク大統領は国家費用で負傷者の治療と救助された人々を各人の県に帰す手配を命じる
■特別議会は調査終了次第、沈んだ乗客の荷物の費用を補償
スエズ湾南部地区で、海上救助大活動の分刻みの追跡が継続される中、ホスニー・ムバーラク大統領はサラーム95号船とキプロス船(それは7万5千トンの軍兵器を運んでいた)との衝突事故において国費で負傷者の治療をすること、治療の可能性と医療ケアを最大限提供すること、各県に救助された人々を帰すための車の手配をすることを命じた。また、ムバーラク大統領は慈悲あるケアによって衝突時にサラーム号に乗船していた1459名が救助された後、負傷者を安心させるためスエズ県長サイード=セーフと電話連絡をとった。一方、1名の遺体は未だ行方不明である。
昨日、負傷者がほぼ全員退院し、現在治療中の患者は2名である。そして、調査終了次第、船体と共に沈んだ荷物に関して乗客への補償金を準備するべく特別議会が活動を開始することが取り決められている。
■スエズ:オマール=ガニーマ記者
ポート・タウフィーク港の南玄関口での衝突事故に関して一昨日、紅海港機構会司令官マフフーズ=ターハー氏がサラーム95号の船長から迅速な救援活動要請の指示を受け、船の乗客の救助活動が詳細に始められた。船には1460名の客が乗っており、機械室の商船の前方部が船体に大きな穴を開けてしまい、船に完全に吊り下がる形になってしまった。新たな英雄的行為の中でスエズ運河の専門家たちと紅海港機構が選んだ作戦は、乗客を船から解放することに重点を置いたもので、まず彼らを完全に救助した上で、衝突した二船の分離前まで航行していたところまで戻り、それぞれ引き返すということだった。もし第一に二つの船を分離させれば乗客がおぼれてしまうのではという危惧からであった。それが実際に起こったのは船の分離直後に人々がおぼれたときであった。紅海港機構長は以下のように述べた。「乗客船船長ハーリド=アル=バリースキー氏は、第一に乗客を船から解放させる必要があるという彼の提案に同意した上で自ら救助活動を指揮した。救助活動においては二船の団結が乗客を助けた。」
■イサーム=アブドゥル=カリーム記者
アハマド=ナズィーフ首相は事件の展開を近くから見守った。議会の公式スポークスマンであるマグディ・ラーディー氏は「輸送相イサーム=シャラフ氏は成功した救助活動追跡についてやスエズの町ヘガーグ市の訪問者や旅行者への蓄積なき補償についての報告を議長に提出した。」さらに続けて「保健相ムハンマド・オード・ターグッディーン氏は88名にのぼる負傷者の状態について、キチンと治療を受け保健省からの医者に加えてイスマイリーヤの病院の力に支援されたスエズ病院に移送され、そのことが負傷者の緊急治療に貢献した、との医療報告を首相に提出した。」さらに加えて、「入院した人のほとんどが治療を終え、未だ病院で治療中であるのは2~3人であるが、そのうち女性1名は亡くなり遺体は行方不明となっており、残りの1名は近いうちに退院できるだろう。」と述べた。亡くなった女性について目撃者たちは「彼女は船と一緒に沈んで、捜索は難航した。」と語った。
一方、スエズ県は「沈没したサラーム95号は特別保険会社より先に乗客たちと彼らの荷物、死亡した女性の保障責任を負っていた。特別議会は調査終了次第乗客の補償金のための活動を開始する。」ということを強調した。
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( 翻訳者:松井愛 )
( 記事ID:1181 )