エルドアン首相、大学でのスカーフ着用をめぐる欧州人権裁判所の判決に不快感(Radikal紙)
2005年11月12日付 Radikal 紙
欧州人権裁判所(AIHM)の判決に異議を唱えたエルドアン首相とギュル外相は、初めて明確に見解を示した。「我々は必ず解決する」。
レイラ・シャーヒンが大学在学中に行った申し立てに関し、トルコの高等教育機関に適用されているスカーフ着用の禁止を民主的な措置とみなしたAIHMの判決に、公正発展党員からの反発が相次いでいる。タイイプ・エルドアン首相は、スカーフ着用の禁止を人権侵害だと見なさないAIHMの判決に対し、昨日次のようにコメントした。「何よりもまず、私はこの問題を宗教と信教の自由の問題であり、学問の自由の問題としてとらえている。これは自由に関わる問題なのだ。そもそもこれは今日に始まった問題ではない。問題がどういう経緯をたどって来たかも明らかだ。
■「一般化は誤り」
しかしながら、裁判所がこの禁止を一般論として捉えるのは大きな間違いだと考えている。一部マスコミが「終止符が打たれた。事態は確定した」と報じたのも誤りだ。何の終止符を、どんな根拠で打っているのか?このようなことがあってもよいのだろうか?見出しの付け方も間違っている。世界の自由はどこからどこに行くというのか。
AIHMで判決を下した人々に次のように問い掛けたい。自分の国の法律が信仰と重なったり干渉する側面を評価したことがおありなのか、と。
この問題に関して、スカーフとは何であるかについて調査し、有識者からその答えを得ているのだろうか。そうした問い掛けは行われなかった。彼らの答えを得ずにこのような判決を下すことは宗教と良心の自由に反する。教育の自由にも反する。今回の判決はAIHMの内部でしか評価されないだろう。判決を一般化しようとすることは、隠された意図のある行為としか言いようがない。
裁判所は、この判決を必要と見なして下した可能性がある。しかし、EU加盟プロセスに重荷を負わせながら、このような評価(判決)を下そうと努めている者も大きな過ちを犯している。なぜならスカーフ着用も自由の一部として獲得された、あるいは獲得されるであろう事柄の一つなのだ。私はこのことをトルコのEU加盟プロセスについてご存知でない人々へ伝えたい。
法律と権利(人権)はそれぞれ別個のものだ。だからといって人権が誤った法律で片時も蹂躙されてはならない。一時的に権利が失われることはあるかもしれないが、出来る限りこうした権利を法律として明文化すれば望む形で問題の解決を図ったことになる。トルコはこの問題(スカーフ問題)を国民として解決した。学会や研究所、政党の問題が存在するが、これも自分たちで解決するだろう。解決されたときには(組織間の)緊張も解消されるだろう」。
<中略>
■シャーヒン氏:判決は政治的
AIHMにより控訴が棄却されたシャーヒン氏も昨日、イスタンブルで記者会見を行い、次のように語った。
「人権は普遍的なものであり、いかなる国や組織の占有物ではない。たとえその組織がAIHMであっても同様である。重要なことは法律の文面に記載されることではなく、実施されることだ。トルコで適用されているスカーフ着用の禁止をトルコ特有の条件に適合するという判断を下した裁判所は、この普遍性を全く考慮しなかった。
AIHMは私の置かれた状況を調査しなかった。それほどまでに私に関わる事実と折り合わない理由が存在したのだ。裁判所は、恐怖と不安を公正さより優先させて政治的な判断を下した。AIHMは、もとより念頭においていた判決を下すための道具として私を利用し、人権をいくつかの政治的打算の犠牲にした。裁判所は明らかにダブルスタンダードを適用した」。
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( 翻訳者:清水 葉月 )
( 記事ID:1277 )